∞転び八起き。“闘うフリーター”所英男の脱力人生(前編)【「気まぐれVITUP!」インタビュー】by編集:松浦




 

「高校3年生まで野球をやっていました」

——偶然がいろいろ重なった格闘技人生だと思いますが、今にして思えばいい偶然が多かったですよね。

「本当にそう思います。みなさんにも喜んでもらえましたし、格闘技のおかげでいい思いもさせてもらいました。大好きだった前田日明さんや元中日の宇野勝さん、山崎武司さんにも会えました。後はハマショー(浜田省吾)だけですね(笑)」

——中日ではとくに宇野勝さんのファンだったんですか?

「宇野さんが大好きで、それで中日ファンになったようなものなので。珍プレーの宇野さんも好きでしたけど、本当にすごかった宇野さんも大好きでした」

——お笑い芸人の方もそうですが、いろいろなつながりができましたよね。

「ダブルブッキングさんと仕事をご一緒させていただいたのがきっかけで、日村さん(勇紀・バナナマン)と仲よくさせていただくようになって。その後、一緒に旅行に行かせてもらったりもしました。いまだにライブも行かせていただいていますし、本当にありがたいですよね。格闘技をやっていなかったら、今も白洋舎で……いや、クビになってますね(笑)。岐阜の実家に戻って、後を継いだ兄の下で働いていたと思います」

——体づくりのサイトなので少し話を戻しますが、もともとスポーツは野球をされていたんですよね。

「兄の影響で小4の時に始めて、そこから高校3年生までやっていました」

——子どもの頃から運動神経はよかったほうですか?

「毎年、リレーの選手には選ばれるんですけど、クラスで3~4番目でギリギリ選ばれるというレベルですね。しかも岐阜の田舎での話なので、まったく話にならないレベルです。ただ体を動かすことは好きでした」

——ちなみに勉強のほうは…。

「全然ダメで、もうやり方からわからないですよね。ノートを写すだけならできるんですけど、それ以外はまったくわかりません(苦笑)」

学校の休み時間にリングスごっこ