“ポスト鈴木雅”の最右翼・横川尚隆①【人物クローズアップ「筋の旅人」】




鈴木雅への憧れが原動力

現在、ボディビル業界で“ポスト鈴木雅”の最右翼と言われているのが横川尚隆だ。年齢は、1994年生まれの23歳。2015年にフィジークのコンテストでいきなりの優勝。翌2016年にボディビルに転向し、ジュニアのカテゴリーで活躍。今年2017年は日本クラス別選手権、東京選手権で優勝し、日本選手権でも決勝に進出し6位に食い込んだ。本年度のシーズンの台風の目となり、まだ20代前半ながら年季が必要とされるボディビル競技に風穴を開けた若き逸材の素顔に迫る。


――トレーニングを始めたキッカケはなんだったのでしょうか。

横川 僕はスポーツの専門学校に通っていたのですが、学校内にトレーニングルームがあったんです。最初は興味はなかったんですが、トレーニングの授業を受けてから、なんとなく(器具に)触るようになって。そのころはバイトもしておらず、暇だったんです。他にやることもなかったので(苦笑)、トレーニングをするようになりました。また、専門学校の提携先であるティップネスを無料で使えたんです。暇なときにはティップネスに行っていました。そのころは、モテるようになりたくてトレーニングしていましたね。20歳くらいのころ、今から3年ほど前のことです。

――スポーツの専門学校に通っていたということは、将来はトレーナーなどになるつもりだったのですか。

横川 いえ、小さいころからスポーツが好きだっだんですが、正直なところ、そこしか入れる学校がなかったんです(苦笑)。

――トレーニングのどんなところにおもしろみを感じたのでしょう。

横川 努力したことが目に見える成果となって現れるところです。それまでもいろんなスポーツをやっていたのですが、練習したことが目に見える成果となって現れる競技って、あまりないと思うんです。それまでは、練習をしていても「これで合っているのかな?」とか「この練習に意味はあるのかな」とか、疑問を抱くこともありました。でも、トレーニングはやれば必ず効果が出る。それは初めての感覚でしたね。

――そこは大事なポイントですね(笑)。トレーニングは、どのように進めたのですか。

横川 自分の感覚を頼りに、いろんな方からアドバイスをいただきながら進めていました。まだ何もわからない状態だったので。

――ちなみに、初めて行ったベンチプレスでは何㎏挙げられました?

横川 60kgも挙げられなかったです。だから、それほど素質があるわけではないと思います。

――トレーニングを始めたばかりのころの体重は何㎏くらいだったのでしょう。

横川 65kgくらいだったと思います。そのあとゴールドジムに入会して、80kgまで増えました。トレーニング開始から約半年間で15kgくらい増えたことになります。

――そのころは、どういったものを食べていたのですか。

横川 とにかくいろんなものを胃に詰め込んでいました。トレーニングもダブルスプリット(1日に2回行うトレーニング方法)でやっていましたね。だから、いろんな人から「もう、自宅の住所をジムにしたら?」と言われました。あのころはずっとジムいたので。

――2015年9月にはオールジャパン・メンズフィジーク選手権に出場しました。コンテストに出場するとなると、精神的にも踏み越えなければいけないハードルがあったかと思います。

横川 「フィジーク」という競技があることを知ったのは、トレーニングを初めて約半年後の2015年3月だったんです。進路に迷っていたこともありましたが、出るなら優勝したいしと思って仕事せずトレーニングしてました(笑)。

――なんですかそれは(苦笑)。

横川 ほんと、あのころの僕はクソ野郎でした(苦笑)。フィジークで優勝すれば、それを仕事にできるんじゃないかという甘い考えを抱いていました。ただ、就職先が決まっていない状態だったので、優勝できなければ、そこですべてが終わってしまう。ますに優勝しないといけないと思い、かなりトレーニングをやり込みました。

――減量は、どのように進めていったのですか。

横川 9月の大会に向けて、5月から減量に入りました。70kgくらいまで絞りました。まずは、ちゃんとした食事をとることから始めました。増量しているときは、1日のタンパク質の摂取量とかも気にしていなかったんです。米を食って、プロテインを飲むだけ、といった食事をしていました。減量するようになって、初めて3食で肉を食べるようになったんです。1日のタンパク質摂取量も体重の2倍のグラム数をとるように心掛けました。

――そのころには「鍛えて女性にモテるようになりたい」という願望は?

横川 その頃にはそういう思いはなく、とにかく勝ちたい! だけでした!

――そしてオールジャパン選手権では172㎝以下級で優勝しました。そのころすでにボディビル転向を考えていたのでしょうか。

横川 トレーニングを始めたころからボディビルは好きだったんです。ボディビル雑誌に載っている鈴木雅さんの写真を見て「かっこいいな」と思っていました。

――いつか鈴木選手のようになりたいと?

横川 そこまでは考えていなかったです。ただ憧れていただけです。また、ボディビルのポージングも、よく見よう見まねで練習していましたね。ただ、その時点ではまだ脚のトレーニングはやっていませんでした。

――そうなんですか。

横川 脚のトレーニングをやっている場合ではない、と思っていました。

――フィジークの大会の審査対象となるのは主に上半身です。

横川 体のベースができあがっていない段階でフィジークの大会に出ようとして、さらには勝手に「優勝しなきゃ!」と思い込んでいたので、まずは上半身を優先しようと。脚のトレーニングをやるようになったのはボディビル出場を決めてからです。

――オールジャパン選手権で優勝して、ボディビルへの挑戦を決めた?

横川 それがそういうわけでもなくて、いきなり優勝してしまったもんだから、調子に乗ってしまって(苦笑)。そのままフィジークを続けて、世界大会で優勝してプロ選手に転向しようと思っていました。でも、その世界大会では勝てなかったんです。そのときですね、ボディビルをやろうと思ったのは。

――それはなぜだったのでしょう。

横川 もともと筋肉を強調するボディビルのポーズが大好きなのもありましたが、世界大会でマスキュラーのポーズを取りたくなったんです! もっと鍛えた筋肉を強調したい!という思いが強かったです。そしてそんな思いのままあっけなく予選落ちしてしまい一気にボディビルに心が持ってかれました! そこから脚のトレーニングも行うようになりました。

横川尚隆(よこかわ・なおたか)
1994年7月生まれ。東京都出身。身長170cm、体重75kg(オン)、97kg(オフ)。2015年にオールジャパン・メンズフィジーク選手権172cm級で優勝した後、ボディビルに転向。16年の日本ジュニア選手権で優勝し、世界ジュニア2位入賞。17年の日本選手権で6位入賞。

 

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聞き手/藤本かずまさ
撮影/やまなか順子‵