「努力は必ず報われる」。そんな言葉があります。でも、「必ず」なんていうのは、私は嘘だと思います。
(著書『「かっこいい」の鍛え方~女子プロレスラー里村の報われない22年の日々~』より)
「努力は報われないなんて、相当のひねくれ者?」
いや、そんなことはない。彼女は誰よりも真っ直ぐに、純粋に“プロレスラーとしての強さ”を追求してきた。
「22年もプロレスで報われないなんて、よほど運動オンチだったの?」
いやいや、そんなことはない。デビューした瞬間から、彼女は驚くべき身体能力、体力を見せつけ、37歳の今も一向にその才が衰える気配がない。
では、なぜ、「努力は報われない」と断言するのか。その理由を11月に発売された彼女の著書から、ごくかいつまんで紹介してみよう。
クラッシュギャルズで空前の女子プロレスブームを築いた長与千種の門下生として、史上最年少(当時)の15歳で里村がデビューしたのは1995年4月。1995年といえば、クラッシュギャルズはすでに引退、北斗晶、神取忍らが活躍した“団体対抗戦”ブームも去り、女子プロレス人気が下降線をたどり始めた時期と重なる。
それでも、先輩女子レスラーたちがリングで表現する女性の強さ、かっこよさ、美しさに強烈な憧れを抱き、プロレスの門を叩いた里村は、周囲から「異常」と気味悪がられるほどストイックにトレーニングを続け、「楽しんだら負け」と一切の遊び、交友を断つのだ。
だが、その努力は彼女が思い描くようには報われない。
女子プロレス人気の衰退に歯止めをかけることもできなければ、長与、北斗、アジャ・コングら先輩レスラーのような強さ、かっこよさのオーラを身にまとうこともできない。そのうち、強さを求める自分とは真逆の“へなちょこ”をウリにする後輩レスラーが大人気に……。
「こんなにがんばっているのに、努力しているのに、なぜ?」
ますます自分の殻に閉じこもり、周囲をうらやみ、自分に絶望する日々――。
そんな“暗闇の日々”から抜け出す転機は2005年。古巣の団体が消滅し、知り合いが一人もいない宮城県仙台で新団体「センダイガールズ・プロレスリング」の旗揚げに参画することとなった。
人とまったくコミュニケーションが取れない里村は、この地でポスター貼りや営業活動、新人レスラーの育成などを通して、初めて「人と関わる」ことを学んでいく。
2011年の東日本大震災では、事務所や道場も被災。拠点がない、お金がない、実家に戻したため選手もいない。そんな、ないない尽くしのなか、里村は前任者から団体を引き継ぎ、団体代表として再出発を図ることを決断する。
彼女の著書には、そこからの失敗ぶりと、それ以上の奮闘ぶりがリアルすぎるほどリアルに描かれている。
団体から十分な練習環境と試合の機会を与えられ、孤独に強さだけを求めてきた若手時代。仙台に移住し、いやおうなく人と関わりながら、自らの手で団体を作り上げてきた中堅時代。26歳を境に大きく変化した自身のレスラー人生を振り返り、里村はいう。
がんばっても報われない努力はある。
がんばってもがんばっても、うまくいかない。一生懸命やっているのに、誰も認めてくれない。全部空回りしてしまう。全部がんばっていないように見える隣のあの子が、なんであんなに楽しそうなんだろう?
そんな、まるで暗闇のなかでもがき続けているようなときが、私にもありました。
(略)
いろんなことを経験して、自分を取り巻く環境や日々の出来事に対して、たとえどんな展開や結末になっても、受け入れられる心の余裕が生まれるようになってきた。
そうすると、自分の人生がめちゃくちゃ楽しくなってきたんです。
(同書より)
里村明衣子のマインドは、トレーニングにも通じる。
どんなにがんばっても期待した成果が出ない、理想の体に近づく気配がない。そんな経験は誰にでもある。大切なのは、がんばる過程に自分自身、納得ができているかだ。逃げずに最善を尽くしたなら、結果だけに執着して落ち込んだり、挫折したりすることもなくなるし、納得しながら歩んだ過程は、明日の成功を引き寄せる最良のヒントとなるはずだ。
里村は著書の最後に、読者に向けてこんなメッセージを送っている。
「いま、現状に満足できないと感じている方がいるとしたら、それでもいつかは報われる、そう思って諦めないでほしいと思います」
文/藤村幸代