すべての人たちにフィットネスの恵みを【マッチョ編集長のマッチョコラム第11回】




テレビをつけると結果にコミットするCMが流れていて、電車に乗るとフィットネスとかヨガとかの吊り広告が目に飛び込んできて、駅に降りるとそこには大手ジムの看板が待ち構えている。ここ数年のあいだに、トレーニングなどカラダ関連、筋肉関連のパブリシティをかなりの高頻度で見かけるようになった。それらは一般的な人たちの一般的な日常風景として違和感なく溶け込んでいる

筆者がトレーニングを始めた30年ほど前は、まだ東京都内にもそれほどたくさんのジムは存在しなかった。言ってみれば、ジムに通って鍛えている人・イコール・特殊な趣味を持つ人たち、であった。プロテインと筋肉増強剤を混同して考えてしまっている人も少なくはなく、筆者も周囲の人たちからしょっちゅう「プロテインなんか飲んで、副作用は大丈夫なの?」なる質問を受けていた。

スポルテック参加者の年齢から、筋トレの認知度が高まってきたことが分かる。

ほかにも「そんなに筋肉つけて意味あるの?」「なにを目指しているの?」などなど。このあたりは、トレーニングしている人ならば誰もが一度は言われたことがある“あるあるネタ”ではないだろうか。

生物にとっての最大のテーマは子孫を残して、命をつなげていくこと。人間が子育てという役割を終えるのは、早い人で40歳前後だろうか。そのくらいの年齢の人は生物学的には不必要な存在なので、身体は自然と衰えていく。内閣府発表のデータによると、1950年時点での日本人の平均寿命は男性が58歳、女性が61.5歳。その数字は、年代をさかのぼっていくにしたがって低くなっていく。

ただ、生物学的には不必要でも、40代、50代はまだまだ働き盛り。社会学的には必要な存在だ。さらに、現在は“人生80年”の時代。成長過程にある時期よりも、衰えはじめてからの人生のほうが長いのである。

健康のために運動したほうがいい。そんなことはみんなわかってはいる。ただ、現代人は運動する機会を次々と奪われてきた。和式トイレにしゃがむ行為はフルスクワット、雑巾がけは二の腕を鍛えるフレンチプレスの動きとほとんど同じ。どちらも現代社会からは消えつつある動作だ。運動する機会は減っているのに、平均寿命は延びていくのでさあ大変、なのだ。

日本最大級のフィットネス展示会であるスポルテック。昨年までと比較すると、若い世代の来場者が増えたように思える。そういえば、ジムに行くと、ボディビルダーが重たいダンベルを担いでいる、そのすぐ横で近所のマダムたちがマシントレーニングを行っているという光景に出くわすこともある。今はもう、体を鍛えるということが特別な人たちだけのものではなくなったようだ。

コンビニにはプロテインドリンクなんてものも売られているし、24時間営業のジムも増えてきた。その人の目的やライフスタイルに合わせてジムなどが選べる環境が整っている。全ての人たちにトレーニング、フィットネスの恵みを。おじいさん、おばあさんが散歩するような感覚でダンベルを持つ。そういう世の中がくればいいなと思う今日このごろである。