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【鉄人アスリート】サッカー・土屋征夫②~スター軍団のヴェルディでプロに、22シーズンに及ぶJリーグ生活~

スポーツ界の鉄人を紹介していくこのコーナー。今回登場するのは、43歳までJリーグでプレーし、現在も地域リーグでプレーを続けるセンターバック・土屋征夫選手。衰え知らずの身体能力、そして燃え続けるモチベーションの秘訣とは?今回は、Jリーグ時代を聞いていく。
★第1回は→こちら

厳しい先輩たちにもまれたヴェルディ時代
あのときがあったから、今がある

――前回はブラジル留学までの話を伺いました。その後、帰国しヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)でJリーガーとなるわけですよね。

土屋:テストを受けさせてくれるということで、せっかくなら力を試してみようと。本当にたまたまだったので、ここでダメだったらもうサッカーはやめると親にも言っていましたね。

――当時のヴェルディはスター選手揃いの日本屈指のチームでした。そこに加入できるなんて、夢みたいじゃないですか?

土屋:自分は飛び抜けて足が速かったので、スピードのあるサイドバックとして獲ってくれたみたいです。技術はなかったですけど、ヴェルディは日本トップの技術力を持つ選手が集まっているチームだし、自分に一番足りないものを身につけられるチームだと思いました。せっかくこういうチームに入れたんだからチャレンジしていこうと思っていたんですけど、やっぱりメンタル的にいろいろきつかったです。

――鬼のような先輩ばかりですよね。

土屋:カズさん(=三浦知良、現横浜FC)、ラモス(瑠偉)さんがいて、哲さん(柱谷哲二)、北澤(豪)さん、中村忠さん、石川康さん、菊池新吉さん、本並健治さんもいて、前園(真聖)さんも横浜フリューゲルスから移籍してきて。ここで全員の名前を言わなかったら怒られるくらい、名選手ばかり(笑)。

――みな日本代表クラスの選手たちですね。

土屋:若い年代も、自分と同じ年代には薮田光教とか、ザイ(財前宣之)もいました。僕が背番号41で、ザイが42でしたね。で、紅白戦とかやるわけじゃないですか。なんか見たことないめっちゃうまいヤツがいると思ったら、平本一樹、飯尾一慶っていう15歳の中学生でびっくり。こりゃキツイとこ入っちゃったなって思いましたよ。

――チームの雰囲気やプレッシャーもかなり厳しかったですか?

土屋:もうヤバイですよ。今でこそ、先輩方のみなさんには良くしてもらっていますけど、当時はもう「なんだこのクソやろー」みたいな言われようですからね。練習生から入ってきているから「ブラジルからきたのに、こいつヘタクソじゃん」って思われるし。圧がすごくて、もう練習に行きたくなかった日もありました。でも、当時のコーチの方々は頑張っているのは認めてくれていて。「こういう選手はなかなかいないから、頑張れ」と言ってくれたりもしました。

――その後、ヴィッセル神戸に移籍します。

土屋:ヴェルディで試合に出られるようになっていたんですけど、コーチ・監督だった川勝良一さんが神戸の監督になるとのことで、声をかけてくれたんです。川勝さんも僕がヴェルディに入ったときにはボロクソ言ってましたよ(笑)。下部組織で指導もしてうまい選手をいっぱい育ててきていたから、技術的な選手がすごく好きだったと思うんですが、まるで正反対なタイプの僕を誘ってくれたので。ヴェルディでの2年間で、僕は川勝さんに育てられたと思っています。

――神戸では日本代表候補に挙がるまでの存在となりましたね。

土屋:川勝さんは自分をディフェンスの中心として使い続けてくれたのもありましたし、チームの雰囲気も“みんなで戦っていこう”という感じでした。飛び抜けた選手はそこまでいなかったけど、僕に合ったチームだったなと思います。

――その後、柏レイソル、大宮アルディージャ、再び東京ヴェルディ、ヴァンフォーレ甲府、京都サンガF.C.と渡り歩くわけですが、影響を受けた選手はいますか?

土屋:うーん。多くの人とコミュニケーションをとって、それぞれから影響を受けてきたので、ある意味この人という人はいないかも。センターバックで年齢が上の人と組むときも、下の人と組む時も、得るものは絶対あるんですよ。例えばヴェルディにいたときに、高橋祥平(現ジュビロ磐田)という選手がいました。当時彼が15、6の時に出会ったんですけど、そのときから本当に上手かったんですよね。僕は34くらいだったかな。紅白戦とかで組んだときに言ったんですよ、「オマエのほうがうまいよ」って。「経験は俺のほうがあるけど、俺はオマエから得るものもあるし。それを共有していくのがセンターバックだから」と話したのを覚えています。

――今年からJリーグを離れ、関東サッカーリーグ1部の東京23FCに移籍しましたが、改めてその経緯を教えてください。

土屋:チームメイトの吉田正樹はヴェルディで一緒にやっていて仲も良く、彼が誘ってくれたのもあります。他のチームも候補にはあったのですが、家族のことを考えたのが大きいですね。甲府にいたときは横浜に家族を残して、単身赴任だったので。

――やはり近くにいたいということですね。

土屋:去年6人目の子供が生まれたんです。すでに5人も子どもがいて大丈夫だったから、6人目が生まれても奥さんは大丈夫かなと思っていたんです。最初は地方でもいいよって言ってくれていたんですけど、改めてゆっくり話すと、さすがにちょっときついって言われて。そのときに東京23FCが良いタイミングで声をかけてくれました。

――Jリーグからアマチュアにくることに、葛藤はなかったですか?

土屋:全くなかったですね。どのチームに移籍するときも同じなんですけど、ただ「うち来て」ではなくて、何かしてほしいとか、こういうことを変えてほしいとか、何か大きいものを与えられたほうがやりがいは出てくるんです。43歳までJリーグでやらせてもらって、どのチームにも感謝しているので、この経験を若い子たちにいろいろ伝えていけたらなと思っています。

――東京23FCにきてサッカー観は変わりましたか?

土屋:変わりましたよ。もうびっくりですよね。いろいろな面で大変だとは聞いていて、ブラジルでの経験もあったからまぁ大丈夫だろう思ってきたんですけど。練習は朝5時に起きて7時からだし、練習場に風呂はないし、人工芝だし。でも少しずつ順応してきました。ただ、”これでやるしかしょうがない”ことは飲み込んでやらなきゃいけない部分もあるんですけど、もっと改善できることは改善すべきだろうと思っています。

★次回は「引退」について聞いていきます。

取材/木村雄大 撮影/須﨑竜太

土屋征夫(つちや・ゆきお)
1974年7月31日、東京都出身。高校卒業後の3年間のブラジル留学を経て、1997年にヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)に入団。1999年にヴィッセル神戸に移籍し6年間プレー。その後、柏レイソル(2005年)、大宮アルディージャ(2006年)、東京ヴェルディ(2007~2012年)、ヴァンフォーレ甲府(2013~2017年、2017年途中から京都サンガF.C.に期限付き移籍)と渡り歩き、2018年から東京23FCに移籍。身長177cm、体重73kg。身体能力を武器に活躍するセンターバック。
★東京23FCのホームページは→こちら
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↓第1回教室の模様は下記からご覧いただけます。
https://ameblo.jp/tokyo23footballclub/entry-12397148206.html