岡林裕二(大日本プロレス)インタビュー①トレーニングの原点




大日本プロレスの岡林裕二選手はウエイトリフティングからプロレスに転身し、屈強な肉体とパワーみなぎるファイトで多くのファンの支持を集めている。そんな怪力レスラーの歩みを聞きつつ、背中のトレーニングを公開してもらった。まずはトレーニングを始めた頃、そしてウエイトリフティング時代の話から。

2歳でみかん箱を持ち上げる
初トライでベンチプレス100キロ

――岡林選手のトレーニングの原点からうかがいたいのですが、子どもの頃は相撲をやっていたんですよね?

岡林:小学生のときから相撲をやっていました。

――最初のトレーニングというのは、どういったところから始めたのでしょうか?

岡林:プッシュアップとかスクワットとか、そういうトレーニングをやり始めたのは遅いんです。でも、下半身のトレーニングという部分では、相撲を始めた小学校1年生のときから四股はやっていました。それが最初のトレーニングですね。

――相撲の四股はなかなかきついですよね。

岡林:きつかったですね。最初の頃は10回ぐらいできつかったです。股を割って腰を落としてそこから上げるのが基本なんですけど、監督が見ていないときは棒立ちでやっていました(笑)。ごまかさないときついんです。足腰は四股で鍛えられたと思います。

――体は子どもの頃から大きかったんですか?

岡林:普通だと思います。同級生と比べてそんなに大きいというわけではありませんでした。ただ、力はありました。昔、家が魚屋だったんですけど、店先にみかん箱が置いてあって、何か手伝わなきゃいけないと思ったんでしょうね。2歳のときにいっぱいに入った10キロぐらいあるみかん箱を持ち上げて店に運んでいたそうです。親がビックリして飛んできたけど、普通に運んでいたと言っていました。

――2歳のときからパワーの片鱗は見えていたわけですね。

岡林:引っ張り上げるというのは、元々好きなんですよね。デッドリフトじゃないですけど、みかん箱を引っ張り上げるという。小学生のときでも、校庭にでっかい石とか置いてあったりするじゃないですか。それを無意味に持ち上げたりしていました。

――鍛えているというわけではなく、子どもの頃からナチュラルに力があったのですね。

岡林:それは遺伝の部分もあると思います。親父も相撲をやっていて、おふくろは陸上のやり投の選手でした。そういうパワー系の血筋なので、その影響もあるのかなと思います。

――元々パワーがあるなかで、本格的に筋トレをしてパワーをつけたいと思うきっかけは何かあったのでしょうか?

岡林:小学校は相撲、中学校では柔道をやっていたんですが、高校でウエイトリフティングを始めたんです。最初は自分の意志ではなくて誘われて入部だったんですけど、記録が伸びるに連れて面白くなっていって。

――ウエイトリフティングは高重量を上げることが目的になりますからね。

岡林:そうです。種目はスナッチ、ジャークですが、スクワット、デッドリフトを補助種目でガンガンやるので。本格的な筋トレはそこからですね。

――ここで初めてバーベルに触れたわけですか?

岡林:バーベルは中学の柔道部でもやっていました。100㎏ぐらいのベンチセットがあって、先生がベンチプレスをやっていたんです。自分はまったくやったことはなかったんですけど、友達に「何キロ上がる?」って言われて、最初はバーだけから始めて徐々に重さを増やしていったら、100キロが上がったんです。初チャレンジで。それがバーベルを使った初めてのウエイトですね。

――やっぱりそうやって重たいものが上がると、自分に力があることも自覚できるし、もっとという欲求も出てくるわけですね。

岡林:そうですね。小学校で石を持ち上げていたときも力があるんじゃないかと思ってたんですけど、改めて力があるんだなって思いましたね。

――ウエイトリフティングでの成績は?

岡林:高校では四国大会で優勝して、インターハイは6位でした。

――高校卒業後は自衛隊で競技を続けていますが、推薦があったのですか?

岡林:自分は地元が高知なんですけど、自衛隊って地連と呼ばれる、地方連絡部というのがあって各地域で隊員をスカウトするんです。地方連絡部の方が家に来て、「自衛隊には体育学校があるから、そこで競技をやりながらオリンピックも目指せるし、お金ももらえるよ」と言うわけです。推薦で大学への進学も決まっていたのですが、自衛隊はお金をもらいながら競技をできるのかと。その人が「三宅(義行)さんが君を待ってるよ」と言って、誘うんです。今にして考えると、絶対に自分のことなんか知らないのはわかるんですけど、当時は「えー!」と思って(笑)。そんなふうに言われたら行くに決まってるじゃないですか。大学に断りを入れて、自衛隊に行くことにしました。

――自衛隊入りはそういう経緯だったのですね。

岡林:入ったら最初は3カ月間、体育学校には行かず、教育があるんです。しばらく通っていて、ある日隊長に「自分は体育学校に行くんですけど」という話をしたら、「そんな話は聞いてない」って言われて。

――体育学校への推薦ではなくてただの勧誘だったのですね。

岡林:そうなんです。そこでは初めて気づきました(苦笑)。でも、すぐに体育学校に書類を送ってくれて、なんとか入ることができたんですけど、危うく一般隊員になるところでした。

――紆余曲折あって体育学校にたどり着いたと。

岡林:体育学校で半年間、見極めの教育があって、この人はオリンピックに向いてるか、向いていないかとふるいにかけられるんです。そこで残って初めて体育学校に入学となるんです。

――自衛隊体育学校で競技をやる選手は選りすぐりのエリートですからね。ウエイトリフティング部は何人くらいいたのですか?

岡林:選手は20名ですね。結局6年間いましたね。自分は94キロ級だったんですけど、前年度の全日本選手権の優勝者の記録を、スナッチ、ジャークの練習でとったんです。その記録をけっこうコンスタントにとれるようになっていたので、これは全日本を獲れると思いました。ところが、大学生で一気に5人くらい、さらに10キロくらい上の記録を出す選手が出てきたんです。なんだよ!って思いましたね。

★次回はプロレスへの転身、そしてトレーニングに対する考え方について。

取材/佐久間一彦 撮影/中田有香

岡林裕二(おかばやし・ゆうじ)
1982年10月31日、高知県出身。自衛隊を経て2008年春に大日本プロレスに入門。同年6月27日の石川晋也戦でデビュー。デビュー当初から強靭な肉体とパワーを武器に活躍。BJW認定ストロングヘビー、世界タッグ、アジアタッグなど、数々のタイトルを獲得している。決め台詞は「ピッサリ!!」。178㎝、120㎏。