伊調馨オリンピック4連覇の秘話公開。師匠・澤内和興氏が旭日双光章を受賞。




オリンピックアテネ、北京2大会連続銀メダルを獲得した伊調千春(現・山谷)、女子選手初、日本選手初となるオリンピック4連覇を達成した伊調馨の姉妹をはじめ、数多くのトップ選手を育ててきた八戸クラブ・澤内和興代表が旭日双光章を受賞。2月8日、地元・青森県八戸市で祝賀パーティーが開かれた。

澤内代表のことをいまも「お父さんみたい」と慕い、「自分にレスリングだけでなく、人生そのものを授けてくれた人」と感謝している伊調馨が記念品贈呈役として登壇し、スピーチした。

「私がオリンピックで4連覇できたのは、幼少期、八戸で過ごせたから。そして、八戸クラブで世界で戦う土台をつくっていただきました。私の自慢は澤内コーチと一番スパーリングをしたのは自分だということ。練習の一番最初にスパーリングをお願いして、また一番最後にお願いする。それは澤内コーチがもう疲れているだろうとふんで、最後なら勝てると思っていたわけですが。毎週毎週そうしているうちに、いつしか私の目標は澤内コーチを倒すことになっていました。テレビカメラの前では『目標はオリンピックです』なんて言っていましたが、本音として打倒・澤内コーチだったわけで。実現したのは高校2年生の夏でした」

地元の英雄、国民栄誉賞受賞者が明かしたエピソードに会場は大爆笑。澤内代表も「第2、第3の伊調馨を育てる」と誓った。

伊調が八戸クラブに入部し、レスリングを始めたのは「ヨチヨチ歩き、まだオムツもとれていたかどうか」の3歳前。7歳上の兄・寿行、3歳上の姉・千春にくっついて練習場へ行っていた伊調が「自分もお兄ちゃん、お姉ちゃんといっしょにやりたい」と言い出すと、澤内代表は「本当は5歳からだけど、オレの言うことがわかれば入部していいよ」とマットに上がらせてくれた。以来、伊調は「レスリングを辞めたいと思ったことは一度もない」。

「澤内コーチから強制されたことはなく、ずっとノビノビやらせていただきました。ホント、あの頃は週末の練習が待ち遠しかった。どうして毎日レスリングの練習がないんだろうと真剣に考えていました」

伊調は小学校3年生から負けなしだったが、中学校入学直後に行なわれた北日本大会初戦、まさかのフォール負け。教わったことのない飛行機投げに対応できずに喫した敗戦のショックから、ひと月ほど練習を休んだことがあるが、そのときも澤内代表は何も言わず待っていてくれた。そして、ようやく練習に出てきた伊調に澤内代表は言った。
「運よくフォールできたことを喜ぶ選手ではなく、必要なときに1点を取れる選手になれ」
澤内代表は試合でも負けたからといって怒ることはないが、勝っても手放しで褒めることもない。練習でやってきたことをすべて出し切り、最後まで手を抜かずに戦い抜けば、勝とうが負けようが「よくやった」と褒めて抱きしめた。それが、伊調はもちろん、八戸クラブの子どもたちはうれしくてたまらない。
試合前、澤内代表は「やってきたことを出し切れ」と子どもたちに声をかけ続けている。練習場には八戸クラブのモットーである「今、この瞬間(とき)を全力で」が掲げられている。

澤内代表と伊調馨の絆の深さを物語るエピソードをもうひとつ。

オリンピックの試合前、澤内は伊調に白いハンカチを渡してきた。思いを込めた言葉を記して、4回のオリンピックすべてでだ。

オリンピック初出場、20歳でイケイケだったアテネ大会のときは「挑戦」。オリンピック2連覇とともに姉妹・同時金メダルを目指した北京大会のときは「変幻自在」。絶頂期、レスリングの真髄を極める決意で挑んだロンドン大会は「全てを力に」。さらに、32歳という年齢、2年前に亡くなった母への思い、前人未到4連覇への挑戦。想像を絶するプレッシャーを乗り越えて勝たなければならないリオデジャネイロ大会では「平常心」という言葉をおくった。伊調は恩師の思いが詰まった真っ白なハンカチをシングレットの胸の中に入れて戦い、金字塔を打ち立てたのだ。

東京オリンピックへの挑戦を終えた伊調はいま、2年前の復帰後、練習拠点とさせていただきお世話になった日体大で指導している。学生たちのなかには、3月8日東京オリンピック代表の座をかけて戦う森川美和もいるが、忙しいスケジュールをやりくりして、伊調はパーティー前日に八戸入り。八戸クラブの練習に参加し、子どもたちに技の実演を交えながら熱心に指導した。

「自分が教えてきてもらったことを伝えないともったいない」、「コーチになってレスリングを追及するというのもいいかな」と常々語っていた伊調は、自らの“原点”に接し、改めて決意を固めたようだ。

「うまくなりたいと一貫してレスリングを追求してきました。そのスタンスは、年を取っておばあちゃんになっても変わらない。指導者としては選手目線で教えていきたい。自分を必要としてくれるマットがあれば、国外でもドンドン出向いていきます」

そんな愛弟子を見守った澤内代表は以前から描いていた自らの夢を大きく膨らませた。

「自分が八戸でがんばって、レスリングの基本を徹底的に教え込んだ子どもたちが、中学校卒業後、東京へ出て向こうで馨に世界での勝ち方をみっちり仕込んでもらって、オリンピックチャンピオンになる。そのためには、私も人生後半戦に入りましたが、体の続く限り大好きなレスリングに携わっていきます」

文&撮影・宮﨑俊哉