「戦争よりも怖いものはない」(ブランコ・シカティック)【名言ニュートリション】





故アンディ・フグ選手やピーター・アーツ選手らとともにヘビー級黄金時代を築いたK-1グランプリ(GP)初代王者のブランコ・シカティックさんが65歳の若さで亡くなり、格闘技界に衝撃が走った。

死因は、肺塞栓症と敗血症で、パーキンソン病も患っていたと言う。

シカティックさんは、1993年に開催されたK-1GPへクロアチア代表として参戦し、日本では無名ながら決勝戦でアーネスト・ホースト選手をKOし、一躍脚光を浴びた。

大会当日は34歳と発表されていたが、すでに38歳だったことが後に発覚。K-1GP優勝後は、クロアチアの独立戦争に参加してスポーツ選手で構成された部隊を率いて、戦場に赴いている。

その後、戦争の終結とともにリングへ戻ってきて数々の強豪を打ち破り、変わらぬ強さを証明した。蹴りの威力がありすぎてスネがパックリと割れるひどい裂傷を負っても、「チャクリキ(当時所属していたジム)に痛いという感情はない」と名言を残して、ファンを驚かせた。タイトルの言葉も、その流れで出たものだ。

1998年にクロアチアで彼を取材したことがある。その年はサッカーのワールドカップがフランスで開催され、初めて出場を決めた日本が一次予選でクロアチアと対戦することになっていた。クロアチア代表のズボニミール・ボバン選手(MF)と仲が良く、某スポーツ紙で対談が実現した。ACミランのスターとして台頭したボバン選手も、シカティックさんには頭が上がらないようで、ヤンチャな姿は消えて大人しい少年に戻っていた。

それも強烈に記憶に残っているのは、クロアチアの街並みを歩く時のシカティックさんの鋭い眼光だ。リング上でも見られない厳しい表情からは、戦争での痛ましい記憶が蘇っていたようにも思えた。

のちに格闘技雑誌のインタビューで、戦争で部隊を率いている際に手榴弾が飛んできて、多くの仲間を失ったことを告白した。怒りと怖さで、気づいたら敵に向けて機関銃を乱射していたと言う。

そんな経験をしている彼からすれば、ルールで守られているリング上の闘いは、たしかに怖くはなかったことだろう。伝説の拳は、これで安心して眠れるはずだ。合掌。

文/松井孝夫
写真提供/ドージョーチャクリキ・ジャパン

追悼大会情報
2020年5月17日(日)19:00~
YouTubeでライブ配信

【対戦カード】

第9試合 メインイベント キックマッチ ヘビー級 3分3R(延長1R)
天田ヒロミ vs 入田和樹

第8試合 セミファイナル キックマッチ ヘビー級 3分3R(延長無し)
将軍岡本 vs 天承山

第7試合 MMA バンタム級 5分2R(延長無し)
清水俊一 vs 八尋大輝

第6試合 プロレスリングマッチ 30分1本勝負
藤原喜明 vs 松本崇寿
※特別セコンド/藤原敏男

第5試合 プロレスリングマッチ 30分1本勝負
青木真也 vs 鈴木悟

第4試合 特別試合 ミックスルール(1Rボクシングルール、2Rキックルール)
ノブ ハヤシ vs 西島洋介

第3試合 プロレスリングマッチ 20分1本勝負
ロッキー川村 vs 田馬場貴裕

第2試合 グラップリングマッチ ウェルター級 5分2R(延長無し)
飯塚優 vs 佐野直

第1試合 ウェルター級 3分2R(延長無し)
竜義 vs HIROKI