ミノワマンが語るリアル超人への道Vol.4 急転直下でパンクラスデビューが決定




「『パンクラスのリング屋もやっているんだ』と驚きました」

1996年に行なわれた第6回パンクラス入門テストの様子。右後ろに見えるのが窪田幸生

―リングの製作などを行なっていた誠産業の諸岡会長ですね。

「横浜道場の坂道を下りて曲がったところに自動販売機があったんですけど、そこでジュースを買っている時に『君が美濃輪君か』って声をかけられました。その時が初対面だったんですけど『岐阜に住んでいるんだろ』と言われまして、誠産業が愛知県ということもあり帰りの新幹線が一緒だったんです。その時に『愛知県岡崎市でジム(CMA誠ジム)をやっているから、練習場所がなかったら来いよ』と誘っていただきました」

―入門テストをご覧になっていた諸岡会長は、なぜミノワマン選手が不合格になったのか疑問に思っていたそうですね。

「それで後日、諸岡会長のもとを訪ねて、いろいろ話を聞かせていただきました。僕も練習場所がほしかったですし、『ウチはプロレスをやりたい人間を受け入れて、このジムからプロレスや格闘技の大会にどんどん選手を送り込んでいるから』という話を聞いたので、誠ジムでお世話になることを決めました」

―地元の近くに、そういう場所があったのも運命的ですね。

「初めてジムに行った時、パンクラスのリングが置いてあって、『パンクラスのリング屋もやっているんだ』って驚いたのを覚えています。最初は車で1時間半くらいかけて、岡崎市まで週1回通いました。でも、もっと練習がしたいということで岡崎市に引っ越して、誠産業でリングをつくったりペンキを塗ったりという仕事をしながらジムで練習していました」

◆パンクラスの会場でリング設営