「ルチャリブレ」の国、メキシコで「デビュー」
晴斗希は、高校時の留学経験が自分を変えたという。ひと月ほどの経験だったが、選考の過程も含めて引っ込み思案だった自分が積極的な人格に変わっていくのを感じた。
「そうやって自分の目標を堂々と口に出すようになると、助けてくれる人が次々と現われてくるようになったんです」
そして晴斗希は、大学1年の冬にあこがれのメキシコへ旅立つ。航空券だけを握りしめた初めての海外ひとり旅。到着後のプランも何もない中、メキシコシティへの機中で晴斗希は運命的な出会いをはたす。
「同じ飛行機に新日本プロレスのマスター・ワトさんっていうレスラーさんがいたんですよ。荷物を拾う時にお見かけしたんで、声をかけさせていただいたんです。そしたら、ついて来いよって、ホテルまで連れて行ってくれたんです」
そのホテルというのは、武者修行のプロレスラーもよく利用しているという日本人御用達のスポット。メキシコシティの中心街近くにある、大部屋にベッドが並んでいるだけの安宿だ。この出会いが晴斗希の運命を大きく前進させる。マスター・ワトの口利きでメキシコプロレスの殿堂、アレナ・メヒコにある道場に通えることになったのだ。
ここで初めて、アレナのメインリングを目にすることでレスラーへの思いは確固たるものになった。
「憧れのツバサさんが立ったこのリングに、いつか自分もって思いましたね」
いきなりのルチャ・リブレ(メキシコプロレス)参戦となったが、標高2300メートルを超える高地のメキシコシティの空気は薄い。日常のトレーニングが高地トレーニングのようなものだ。晴斗希はまずこの空気の薄さと戦わねばならなかった。
「向こうはレベルも高かったですし。派手な動きだけでなく、マット上での細かい技も叩き込まれました。やっぱり、技をきれいに見せるっていうことはマット運動なんかの基礎が役に立ちました」
メキシコプロレスに臨むと、ここで器械体操の経験が生きる。コーチはすぐに、晴斗希がこれまでプロレスにきちんと向かい合ってきたことを理解してくれた。ここで彼はプロレスラーのライセンスを取ることを勧められる。
「ルチャ・ライセンスっていうんですけど、取りに行ったらどうだって。外国人選手は持っていなくても試合に出してもらえることもあるんですけど、やっぱりプロレス大国・メキシコの免状ですから受けに行きました」
基礎体力とランニング、簡単な組手のテストがあったが、このときは残念ながら不合格。それでも1試合、本場のリングにも立たせてもらった。このときのギャラはいまだに封筒に入れたまま残しているという。
約3か月の滞在を終えて、晴斗希は帰国。そして、道頓堀プロレスに入門した。2019年に大学生のままデビューをはたし、メキシコを再訪したときに見事ライセンスを勝ち取った。