職業、プロレスラー。デビューは1971年の5月9日。強靭な肉体が売りの過酷な世界で、半世紀以上もリングに立ち続ける男がいる。藤波辰爾、69歳——。12月28日に古希を迎えるリビングレジェンドの、50余年にも及ぶトレーニングライフを振り返る。
「肩甲骨とはよく言ったもので、健康じゃないと動かない」
成人男性で52.52cm、69歳では48㎝と言われる太ももの平均値で、藤波が示す数値は驚異的だ。「脚から衰える」という真理の逆をいくように、いまだ60㎝超の数値を弾き出している。
人間離れした肉体を持つプロレスラーとはいえ、キャリアを重ねるごとにTシャツ、ロングタイツなどを好んで着用する選手も少なくない。そんな多種多様なコスチュームが当たり前となった現在でも、藤波は一貫してストロングスタイルの象徴である黒のショートタイツとリングシューズのみでリングに上がり続けている。
「一番あった時は68㎝。今でも『いい脚をしていますね』と言われることがあって、その時に自分は冗談で『むくんでいるだけですよ』と返すんですけど、昔から脚だけは鍛えるようにしています。今はヒザが悪いのでスクワットはしないですが、ジムに行くとまずは自転車を漕いだりステップを踏んだりと下半身の運動から始めます。ヒザのことを考えて本当はサポーターをしたほうがいいんでしょうけど、なんか違和感があるんですよね。半月板の手術をした時にサポーターとテーピングをして試合をしたことがあるんですけど、結局試合が終わる頃には自分でサポーターを取っていました」
長州力らと凌ぎを削っていた頃までは、まわりと競うように重量にもこだわっていた。ただ1989年に腰を痛め(椎間板ヘルニア)、1年3ヵ月という長期欠場を強いられてからはトレーニング内容を一変したという。
「(ビッグバン・)ベイダーとの試合で腰を痛めて、復帰する時に現在も見てもらっているトレーナー(なかやま恵之助氏)にリハビリを兼ねた運動法を教えてもらいました。2002年からは個人トレーナーとして契約させてもらっていますし、もう30年くらい練習を見てもらっています。僕らは体のことをわかっているようで、じつは一番わかっていないところもあって、どうしてもリング上でも練習でも無茶をしてしまう。その意味では体はしんどいですけど、基本的には週2回練習を見てもらっています」
トレーニングはそれ用に借りたマンションの一室で行ない、時間が許す時は今でも週4~5回は足を運んでいる。メニューはなかやま氏のアドバイスもあり、「軽い負荷で回数を多く」が基本。ケガをしては本末転倒であるため、指導がない日も全幅の信頼を置くトレーナーのトレーニング法を踏襲している。
「時間は平均で2時間くらい。限られた時間の中で凝縮してトレーニングを行なっています。年齢的なことも考慮して、一番意識するのは可動域です。どうしても筋肉が引っ張ろうとして体が縮こまってきますので、逆の方向に伸ばす運動がメインですね。肩甲骨をいかに動かすか。肩甲骨とはよく言ったもので、健康じゃないと動かない。だから肩甲骨をいかに動かすか、というメニューが大半です。回数、セット数、重量というよりも、いかに可能域を広げるかということを意識しています」