「これからもリングに上がれるくらい健康であり続けたい」
重量は軽めと言いながら、それはあくまでもプロレスラーとしてのさじ加減だ。普通の人であればすぐに音を上げるような負荷をかけつつ、時にはスパルタとも思えるようなメニューにも取り組んでいる。
「軽めと言っても僕たちは健康だけのためではないですから。リングに上がるための運動なので、そこはトレーナーの指導方針も違いますし、回数の掛け声も『あと3回、2回、5回……』と、終わると思ったら回数が上がることもよくあります(笑)。トレーナーによれば40歳と同じレベルのメニューということですね」
絶え間なくトレーニングを続けることで、今でも一線級の試合運び、そしてバンプは健在だ。デビュー52年目という異次元の数字を前にしても向上心は潰えず、つい先日もIWGPジュニアヘビー級王者・高橋ヒロムからのシングルマッチ挑戦要求に対し、対戦受諾ともとれるコメントを残している。
「1年でも長くやっているから、こういう接点ができたので。いつかは限界が来るでしょうけど、ファンのためにも夢の続きをもう少し見ていきたいという気持ちはありますよね。あと僕の年だったら言ってもいいのかなと思うんだけど、変な意味ではなくて健康のためにもプロレスは続けたい。70歳までリングに上がるというのはほぼ確実だと思うので、そうなるともっと目標を上げていきたいです。75歳、80歳……、いつまでリングで受け身を取れるのか。これからもリングに上がれるくらい、ずっと健康であり続けたいですね」
藤波の座右の銘は、言うまでもなく”ネバーギブアップ“。古希を目前に控えても、その精神は何ら失われていない(後編に続く)。
取材・文・写真/松浦俊秀
写真提供/株式会社カートプロモーション
藤波辰爾(ふじなみ・たつみ)
本名:藤波辰己。1953年12月28日、大分県出身。183㎝。108㎏。ドラディション所属。1971年5月9日に日本プロレスでデビュー。1974年、カール・ゴッチ杯優勝。1978年にマディソン・スクエア・ガーデンでカルロス・ホセ・エストラーダを破り、WWWF(WWF)ジュニアヘビー級王座を獲得。日本にジュニアヘビー級というジャンルを確立させる。その後、ヘビー級に転向。長州力との名勝負数え歌を筆頭に、多くのベストバウトを生み出す。2015年には日本人ではアントニオ猪木に続き、2人目のWWF殿堂入りをはたす。Twitter。藤波辰爾公式YouTubeチャンネル「ドラゴンちゃんねる」