なぜ筋肉はあるのか?
このコラムでは、研究者&トレーニーとしての私の経験に最新の情報をプラスして、さまざまな角度から「筋肉」や「トレーニング」の素晴らしさをお伝えしていきたいと思います。
まずは根源的な話からはじめましょう。ヒトという生物にとって、筋肉の存在は何を意味するのでしょうか。
地球上に最初に現れた生物はバクテリアで、やがて植物と動物へと進化しましたが、動物では動き回ることによって命を守るという基本的なシステムが確立されていきました。環境の変化に合わせて、生きやすい場所に移動する。敵が出現したら逃げる。そして、食べ物を手に入れることで必要なエネルギーを得る。自在に動けることが自然界で有利に働くようになり、その中で生物たちはそれぞれに進化を遂げていきます。
悠久の時を経て、その進化の頂点に立ったのがヒトであると言えますが、すべての生物にとって動くということが本質に近い特性であることは今も昔も変わりません。
思うように動くためには、自動車で言うと「エンジン」が重要。体の中でその役割を担っているものこそ「筋肉」です。
筋肉は原始的な生物にも存在しています。アメーバのような単細胞生物にはありませんが、そのアメーバでさえ細胞の中に筋肉と同じようなタンパク質を持ち、細胞そのものが筋収縮と同じような仕組みで動き、「仮足」という構造を伸ばしてエサを求めて移動したり、嫌なところから逃げたりすることが可能です。
多細胞生物になってくると原始的な神経系がつくられ、イソギンチャクやヒドラといった腔腸動物には原始的な筋細胞を確認できます。
私は1970年代に貝を材料にして研究をスタートしましたが、貝の筋肉で最も目立つのは貝柱です。ホタテなどは貝を開閉することで泳ぐので、貝柱が異常に発達していますが、この貝柱は平滑筋でできている部分と、横紋筋に似た構造をしている部分の両方をもっています。
哺乳類はもちろん、爬虫類、鳥類、魚類なども、イソギンチャクや貝に比べれば、系統的に高等な生物です。そのため筋肉もさまざまな形で進化し、体の中でもかなりの体積を占めています。ヒトの場合、筋肉の割合は体重の約40%(女性は約35%)にもなります。
移動するだけでなく、立つことも、姿勢を維持することも、心臓を動かすことも、呼吸をすることも、すべて筋肉の働きです。筋肉がなければ、生きていくことさえできません。
ですから筋肉そのものはシンプルな構造ですが、その役割は多岐にわたり、複雑なニーズにも対応できるようになっています。
脳が先か? 筋肉が先か?
このように体の中で重要なポストを担うようになった筋肉ですが、では脳と筋肉は、どちらが先に地球上に現れたのでしょうか? あるいは、どちらが先に高度な進化をはじめたのでしょうか?
おそらく、これは「同時」という答えが正しいと思います。
というのも、イソギンチャクのような生物であっても、筋肉のような器官だけでなく原始的な神経系を持っています。つまり、あらゆる生物の筋肉は単体で動くのではなく、神経系の指令を受けて動いているわけです。
ということは、神経系だけ、あるいは神経系の中枢である脳だけが存在していても意味はありません。指令を出す側と、指令を受ける側、それが同時に存在することが必要であり、それによって初めて目的にかなったアクションが可能になるのです。
一般的に「脳は支配者層、筋肉は労働者層」というイメージがあるかもしれません。しかし、原始的な生物しかいなかった時代から、両者は協力し合いながら母体を進化させてきた「同志」と言えるのです。
※本記事は2017年に公開されたコラムを再編集したものです。
1955年、東京都出身。東京大学名誉教授。理学博士。専門は身体運動科学、筋生理学、トレーニング科学。ボディビルダーとしてミスター日本優勝(2度)、ミスターアジア優勝、世界選手権3位の実績を持ち、研究者としても数多くの書籍やテレビ出演で知られる「筋肉博士」。トレーニングの方法論はもちろん、健康、アンチエイジング、スポーツなどの分野でも、わかりやすい解説で長年にわたり活躍。『スロトレ』(高橋書店)、『筋肉まるわかり大事典』(ベースボール・マガジン社)、『一生太らない体のつくり方』(エクスナレッジ)など、世間をにぎわせた著作は多数。