「筋トレをすると頭が良くなる」
そんな言葉を耳にする機会が増えてきました。体を鍛えるために行なう筋トレで、頭まで良くなってしまうというのは本当なら夢のような話ですね。
さて、実際のところは、どうなのでしょうか?
以前のコラムでも脳と運動の関係性について書きましたが、私たちの研究室で論文を発表した、あるデータがあります。
もともと私たちはネズミに筋トレをさせ、その変化を調べる研究を10年以上も続けてきました。もちろんネズミは自発的に筋トレをしないので、麻酔かけて眠らせ、装置に取り付けて筋肉を電気で刺激します。そうして筋肉を収縮させながら、モーターを使用して負荷の上げ下げに相当する運動をさせます。その後、解剖して筋肉をとり出し、タンパク質や遺伝子の発現の変化などを調べます。さまざまな視点で何度も何度も実験を続けた結果、筋トレすると体内でどんな化学反応が起こるか、どういう物質が筋肥大に関わるか、ということなどがわかりました。
この論文は筋肉ではなく、筋トレをした後のネズミの脳を調べた研究でした。筋トレをすることで脳の短期記憶の中枢である「海馬」の中にBDNFが増えるのではないか、という予測に基づいて行なったものです。
BDNFとは「脳由来神経栄養因子」と呼ばれる物質で、これが増えると脳の神経細胞が増殖することがすでにわかっていました。ネズミの場合、たとえばランニングをさせると海馬の中でBDNFが増え、迷路のルートなどの学習効率が上がることは25年ほど前から数多くの研究によって判明しています。ただ、なぜそうなるのか、その仕組みはわかっていませんでした。そこで私たちは、使われた筋肉から脳に情報が行っている可能性があるのではないか、と考えたわけです。
麻酔をかけたネズミは眠ってしまっているので、装置で筋トレをさせている時も脳は使っていません(夢は見ているかもしれませんが)。少なくとも「運動をしている脳の状態」になっていないと考えられます(通常、起きてトレッドミルの上を走っている時などは運動中の脳の働きになっています)。そのように脳の動きをオフにして、筋肉だけが勝手に動くような状況であっても、筋トレ後は海馬のBDNFが2倍ほどに増えることがわかりました。
ちなみに、トレーニングの内容は「筋肉を動かす」という程度ではなく、「長期的に行なえば筋肥大を起こす」というレベルの比較的強度の高いものでした。そのくらいの筋トレをすると、筋肉から何らかの信号が脳に送られ、その情報によって海馬のBDNFが増える仕組みがあるという可能性が示されたことになります。
おそらく、運動をするために脳が自ら活動することによって、海馬のBDNFが増えるという因果関係もあると思われます。その一方で、この実験で示されたように筋肉からの指令によっても同様の反応が促進され、両面からBDNFが増えるという現象が起こっているのではないかと私は考えています。
したがって、筋トレは学習効果を増強したり、認知症を防いだりといったポジティブな影響を脳に与える可能性が高いと言っていいでしょう。
※本記事は2018年に公開されたコラムを再編集したものです。
1955年、東京都出身。東京大学名誉教授。理学博士。専門は身体運動科学、筋生理学、トレーニング科学。ボディビルダーとしてミスター日本優勝(2度)、ミスターアジア優勝、世界選手権3位の実績を持ち、研究者としても数多くの書籍やテレビ出演で知られる「筋肉博士」。トレーニングの方法論はもちろん、健康、アンチエイジング、スポーツなどの分野でも、わかりやすい解説で長年にわたり活躍。『スロトレ』(高橋書店)、『筋肉まるわかり大事典』(ベースボール・マガジン社)、『一生太らない体のつくり方』(エクスナレッジ)など、世間をにぎわせた著作は多数。