「1円でも多く稼いでやるって気持ち」内川聖一から学んだプロの厳しさ『辞め時』を悟った野球青年の最後の地は中米・グアテマラ




考え始めた『野球のやめ時』

同じようなことを近鉄バファローズのキャッチャーだった山下和彦監督からも言われた。監督からは、「お前はいつまでも野球続けそうだな」とよく言われた。

「でもな、野球選手はいつか辞める時が絶対来る。辞め時をしっかり考えたほうがいいぞ」

この監督の言葉を受けて、土屋なりに「辞め時」を考えた。出した結論が、「海外で野球をやって、それで辞めよう」だった。大学生の時に漠然と思い描いた夢を最後に、競技としての野球に区切りをつけることにしたのだ。自分にあと1年を与えることにして次のプレー先を探した。それが中米のグアテマラだった。

グアテマラと野球というスポーツは多くの人にとって結びつかないだろう。実際、国際的な統括組織、世界野球ソフトボール連盟にも未加入だ。しかし、歴史的にアメリカの影響を受けてきたこの国では、20世紀初めにはすでに野球がプレーされている。

そして、現地企業家が旗振り役となって、ウィンターリーグが5年前に開始された。当初は、選手に報酬を支払うプロリーグだったが、観客動員がままならず、この冬には、逆に選手から参加料を取るトライアウトリーグに変わってしまった。しかし、プロへの足がかりを得るべく、アメリカや中南米を中心に多くの外国人選手がこのリーグにプレーの場を求めて集まってきた。

土屋もそのひとりだった。他にも数名の日本人が参加していたこともあり、リーグは彼らに球場から数キロ離れた町中のゲストハウスを宿舎としてあてがった。宿舎と言っても、バックパッカーが集まるドミトリー形式の安宿だ。参加費を支払う代わりに寝床と食事だけは支給された。グアテマラは中米で最も治安の悪い国とされている。なぜこんなところにまで来てプレーを続けるのだろう。

「なんだろ、シンプルに野球が好きなんでしょうね。この2年間、ほとんど試合に出てないんで、出場の機会を求めてっていうのが一番かな」

酒、たばこや車と一緒ですよ、と土屋は笑う。要は止められない趣味ということだ。しかし、自身を「現実主義」と分析する彼は、現役生活のカウントダウンに入っている。

「これから先の人生を考えた時に、いつ辞めるかっていろいろ考えて、年齢がいけばいくほどその後が不利になるじゃないですか。だから辞めるんなら早いほうがいいと思って」

ウィンターリーグと言っても、まだまだ野球が組織化されていないこの国では、各チームは試合をこなすのが主で、チーム強化のためのトレーニングを全体ですることはほとんどない。ランニングをしたいと思っても、あまり治安のよろしくないグアテマラシティでは、知らぬ間に「危険地帯」に入り込んで身ぐるみをはがされるようなことにもなりかねない。

これは一般市民も同様で、そのためか、市当局は、旧市街から野球場のある運動公園までまっすぐのびる道を日曜日に車両通行止めとし、市民に開放している。この日だけはこの1キロほどの「広場」をジョギングやサイクリング、犬の散歩を楽しむ市民で賑わう。

そういうこともあり土屋たちは、試合は週3回ほどしかないにもかかわらず、球場へはほとんど毎日出向いた。この国唯一だという球場の周辺は、グアテマラ市民が集うスポーツ施設がいくつか集まっており、球場のスタンド下にはトレーニングルームがあるのだ。

遺跡のようにも見える古い球場の外観とは一変。こぎれいなトレーニングルームは選手からも好評で、広いスペースに一通りのウエイトトレーニングのマシンがそろっている室内は途上国にいることを忘れさせてくれる。

もともと日本と違い、『走り込み』をあまりすることのないアメリカン・スタイルの野球をしているため、選手たちのトレーニングはここでのウエイトが中心だ。単に重いものを持ち挙げるだけではなく、ゴムチューブを使ったトレーニングや投手ならシャトル投げなど、量を求めるのではなく、合理性を重んじたトレーニングが行なわれていた。打者は、球場の端のスタンド下の練習場でトスバッティングを行なうことも可能だった。

最後はケガをしたものの、土屋はレギュラーとして出場。打率も3割を超えた。2024年、ラストイヤーはヨーロッパでプレーした後、ウィンターシーズンにオーストラリアでプレーしてユニフォームを脱ぐつもりだ。すでにヨーロッパのクラブとは契約の話を進めている。契約のあかつきには、スポーツクラブの職員として野球を子どもに教えながらプレーする予定だ。

「オーストラリアではプロのウィンターリーグでプレーできないけど、クラブチームが外国人選手を迎えてくれるんですよね。給料はもちろんないけど、ワーキングホリデービザを取っていくと、バイトできますから」

『引退後』は、就職して草野球をしようか、資格でもとって自分しかできない仕事に没頭しようか…という「未来予想図」を土屋は思い描いている。

取材・文/阿佐智