狭き門をくぐりぬけてトップ美容師に
――“筋トレ美容室”誕生の話の前に、そもそも川島さんが美容師を目指すきかっけはなんだったんですか?川島 きっかけは『シザーハンズ』という映画を見たことです。
――ジョニー・デップの?
川島 はい。あれはバーっと切ってるじゃないですか。あれを見てこれは僕にもできそうだって思ったのがきっかけです。昔、おじいちゃんに石の彫刻を習っていたんです。でも石の彫刻は屋外でやるものなので、僕は暑がりなのでダメだったんです。じゃあ美容師さんだったら、髪を切るのは屋内だからいいかなと思って。
――美容師を志したのはいくつの時ですか?
川島 高校生の時です。僕が高校生の時は浅野温子、浅野ゆう子の全盛期でワンレングスにトサカみたいな髪型が流行っていたんです。自分だったら絶対にあんな切り方はしないって思っていました。「VOGUE PARIS」「VOGUE ITALIA」「marie claire」……海外のファッション誌をよく見ていたんですけど、なんで日本だけこんなにダサイんだろう?と思っていて、これは俺がなんとかしなければダメだって思っていました。
――日本のファッション業界を変えるというような志があったんですね。
川島 そうです。なんで日本だけこんなにダサイの?って思っていました。
――もともとオシャレは好きだったんですか?
川島 好きでした。興味はありましたね。あのひどい髪型になんでみんな違和感がなかったのかなって思ったんです。そんな時に『シザーハンズ』を見て、こんなのもあるんだ。こんなに自由なんだなって思ったんです。
――美容師として最初は当然どこかのお店に入ったわけですよね?
川島 当時、一番難しいと言われていた業界トップのお店に入りました。そこは一日60人面接を受けて一人も受からないというぐらい難関で、自分が通っていた専門学校でも100人ぐらい受けて、僕だけ受かったんです。
――すごい確率ですね。面接や実技試験があったんですか?
川島 面接で「僕はこの店が一番いいと思うから来ました」と言って、「今日ここに来ている他の学生とダイヤモンドの僕の違いがわからないなら、この店に未来はないと思います」ってハッキリ言いました。「トップであるこの店が、僕の良さをわからなければこれからの美容界はどうなっても知らない」って言ったんです。
――それで合格したんですか!?
川島 合格しました。そこで1年間働いたんですが、自分が一番になったので、もう学べることはないなと思って、次はテレビドラマのモデルにもなったお店のトップの人のところに行こうと思ったんです。最初に行った時は面談を待っている時に疲れて寝てしまって、二回目の時は自分で撮影したフォトブックを持って行ったら「自己主張の強い奴はいらない」って断られました。次はカットモデルとセットモデルを連れて行って、セット面を借りて無理やりカットしてセットをしました。そうやって押しかけで働くことになったんです。
――すごいエネルギーですね。
川島 そこのお店は技術者になるまでに5~6年かかるんですけど、僕は1年で技術者になることができました。ハサミを持って半年で予約が取れないくらいいっぱいになったんです。1年経ってお店を辞める頃にはテレビや雑誌の取材、ヘアショーなどに引っ張りだこになっていましたね。そういう感じだったので、トップの方からも「オマエはもっと大きくなるから、もうここにいてはダメだ」と言われて、辞めることにしたんです。
――それから独立してURでやるようになるわけですか?
川島 いえ、その前に路上で切っていたんです。
――路上で!?
※次回は“アクセルしか持たない男”の本領発揮。路上カット秘話をお届けします。
1973年6月3日生まれ。ヘアメイクアーティスト。HairMake UR代表取締役。美容室の情報はこちらをチェック→http://ur-hairmake.com/
聞き手・佐久間一彦/撮影・山中順子