世界中の頑張っているママさんたちに勇気を与えたい
サウスポーから繰り出される強烈なサーブ。フォアハンドからの力強いストローク。西村佳奈美の一つひとつのショットからは、2年以上のブランクは感じられなかった。事実、本人もブランクの影響はあまり感じていないという。そして何より印象的だったのが、彼女が楽しそうにテニスをしていたことだ。「今は本当に楽しい。小さい頃から試合中は泣きそうな顔でテニスをしていると言われて続けていたんです。でも今は純粋に楽しい。こんなにテニスが楽しく感じるのは、小学生の頃以来かもしれません。正直、ブランクというか、感覚は一切問題ないです。ただ、体力面は落ちているので、トレーニングで体力を戻すことに重点を置いています」
現在は所属チームがないため、練習場所も練習相手も自ら探して手配している。家に帰れば妻として、母としてやるべきこともある。テニスだけをしていれば良かった時よりも環境には恵まれていないが、気持ちの充実は今のほうが遥かに大きい。
「大変なことはたくさんありますけど、家族の存在は励みになります。息子が大きくなったら試合を見せてあげたいと思うと、自然と力が出ます。しっかりトレーニングをして、スポンサーを集めるための挨拶周りとかしていきたいと思っています」
着々と復帰に向けての準備を進める西村にとって、最大の壁はツアーに出るための資金だ。まずはITFの大会で成績を残してポイントを獲得しなければ、上のステージには進めない。しかし、前述したようにテニスのツアーは大半が海外で行なわれるため、1回100万円以上の遠征資金が必要になるのだ。復帰に向けたトレーニングと並行して、協力してくれる企業を探す日々が続いている。
“才能を潰された早熟の天才”
そんな見方をする人もいるだろう。復帰を決めてから関係各所に挨拶に行くと、冷たくあしらわれることも多い。多くの人は一度テニスから離れ、一児の母親になって復帰するなんて無理だと決めつけているのかもしれない。女性アスリートの場合、出産を経ての復帰は容易なことではないからだ。
「企業とかメーカーとかにも挨拶に行きましたけど、『え、またやるの?』みたいな感じで馬鹿にされました。無理だって思っているんでしょうけど、試合に出れば結果を出す自信はあります。自分が頑張ることで、世界中の頑張っているママさんたちに勇気を与えられたという思いもあります」
前例のないことをやろうとすると否定する人は多い。しかし、自分で自分の可能性を否定する必要はない。誰もやったことがないなら、自分がその第一号になればいい。心身ともに傷ついて一度はテニスを離れた過去は変えられないが、未来は自分しだいでいくらでも変えていくことができる。何よりテニスとの向き合い方が過去の自分とは違う。
「前はなんのためにテニスをやっているのか、誰のためにテニスをやっているのか、もうわからなくなっていました。でも今は違います。自分自身がテニスをやりたいと思っているし、家族のため、息子のためにも頑張りたいんです。そして復帰後は必ず活躍してプロにしてもらったお父さんにも感謝の気持ちを伝えられたらと思っています」
一度テニスを離れた時から、父とは疎遠になったままだ。10代の頃は大きすぎる期待が重荷となり、心身ともに限界に達してしまった。しかし、母親となった今は父がどれだけ自分のために時間やお金、何より愛情を注いでくれていたかも理解している。だからこそ、「もう一度」という思いは強い。
「LOVE40」(ラブ・フォーティー)
0-40。テニスで言えば追い込まれた状況を意味するこの言葉を西村はキャッチフレーズに掲げている。絶体絶命の場面でも「諦めない・頑張る・打ち勝つ」という気持ちを表したものだ。
「6月くらいから試合に出ていきたい。最終的な目標はグランドスラムです。テニスをやる以上、そこを目指さなければ意味がないですから。諦めずに挑戦していきます」
史上最年少のプロテニスプレーヤーから日本人初のグランドスラムに挑むママプレーヤーへ。西村佳奈美の0-40からの闘いが今まさに始まろうとしている。
※次回は特別編として、あの“筋トレ美容室”でカッコよく大変身!
1996年1月24日、大阪府出身。幼少時からテニスを始め、2010年にジュニア世界一を決める大会「Petits As」で優勝しアジア人初のJr.世界一になり、同年4月22日 史上最年少(14歳3ヶ月)にて日本テニス協会認定プロ選手となった。
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取材&文/佐久間一彦 撮影/山中順子