プロレス解説者の柴田惣一さんが、実体験をもとに数々のエピソードを紹介していく連載「柴田惣一のよもやま話」。今回は、「電流爆破マッチ」の第一人者として知られる大仁田厚の逸話について。
流血。大方の人は驚き、そして恐れることだろう。小さな切り傷でも鮮血が流れ出すと、慌ててしまう。それどころか、流血が続くと、体中の血液が減少し生命の危機にも陥りかねない。また傷口からばい菌やウイルスが入り込むと感染症の危険が増す。すぐに消毒し治療が必要だ。
我々の人生ではそう何度も体験しない緊急事だが、自ら流血を覚悟の上で突っ込んでいく者がいる。デスマッチ戦士である。
通常のルールでは反則となる凶器を使用するデスマッチ。バット、蛍光灯、ガラスボード、剣山、釘、画鋲、鉄オリ…肉体が切り刻まれ、出血必至の凶器に突っ込んでいく。
人間の防御本能に逆らってリングに上がり闘う戦士たちには、本当に驚かされる。
古くからデスマッチのゴングは鳴っていたようだが、日本マット界にデスマッチを定着させたのは「涙のカリスマ」大仁田厚だろう。
「王道」全日本プロレスでジュニア戦士として活躍後、FMWを設立。「電流爆破マッチ」という新たなスタイルを確立した。ロープの代わりに有刺鉄線を張り巡らし、電流を流し爆弾をセット。電源スイッチを入れた後に、接触すると爆発する。
爆音とともに火花が散り、煙が立ち込める。実際に観戦すると、ド迫力の凄まじさに度肝を抜かれる。映画のアクションシーン顔負けで人気を集めている。
大仁田と有刺鉄線の付き合いは、若手レスラーとして米武者修行中にまでさかのぼる。テキサス州アマリロのファンク道場に入門した際、牧場の手伝いにも励んだ。ある時、牛たちが逃げないように柵を設置していると、テリー・ファンクに「ヘイ、これでやってくれ」と指示されたのが、初めて手にした有刺鉄線だった。「今、思うと有刺鉄線電流爆破マッチの原点はこれだった」と40年以上前を振り返る。
長年の有刺鉄線との付き合いは、大仁田に栄冠をもたらした。ターザン後藤との「ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチ」で、1990年のプロレス大賞ベストバウト賞を獲得。MVPにも選出されている。
当時、選考委員会委員長を務めていたが、業界から「邪道」扱いされていた大仁田厚のダブル受賞には、各所から非難が殺到。「邪道を認めるのか」「あれがプロレスか」「体一つで頑張っている選手に失礼だ」…毎年、様々な意見が届いたが、あの時ほど抗議の声をいただいたことはなかった。
1974年のデビューから、全日本、FMWら様々なリングで大暴れしている。全身傷だらけにして現役バリバリ。現在68歳の大仁田だ。
50年を超えるレスラー人生の間に、7度の引退と復活を繰り返している。まさに邪道流だが、アンチの声が多いのも百も承知。「他の人みたいに休業にしとけば良かった。頭が回らなかった」と悔やんでいたが、自分の生き様に後悔はない。「一度きりの人生。やりたいことやらなくちゃ」と、レスラーとして政治家として一心不乱に走り抜けてきたのだ。
師匠のジャイアント馬場にかわいがられ、政界に進出したアントニオ猪木の背中を追いかけた。国会議員でも乱闘要員として注目を集めた。
2024年にはガン治療中の西村修をデスマッチのリングにあげている。疑問の声も強かったが「彼の希望だし彼の人生。やらないで後々ウジウジするより、トライした方がいいだろ」とキッパリ。翌年、亡くなった西村だが、デスマッチ後は実際に晴れやかな顔だった。大仁田の言う通りだったようだ。
パンチを避けるのは人間の本能。プロレスラーは体を張ってパンチやキックの応酬を披露する。流血も本能に反する。それでも、流血をいとわず生き様を披露し続ける。時には反発を集めるも「賛否両論、上等じゃ!」と胸を張る。
人生は一度きり。主役は自分自身。これからも鮮血を吹き上げながら、止まることのない邪道・大仁田厚は我が道を走り続ける。(敬称略)


