鍛え抜かれた体と、不屈の精神で頂点を目指すパラ・アスリートを紹介するシリーズ。今回登場するのは、パワーリフティングの西崎哲男選手。競技を始めてわずか3年でリオデジャネイロ2016パラリンピック競技大会に出場を果たし、東京2020パラリンピックでさらなる飛躍を目指す42歳のアスリートの歩みに迫る。インタビュー2回目では前回のパラリンピック出場への道を聞く。
アスナビでトレーニング環境が充実も
リオデジャネイロパラリンピックは記録なし
――公務員として働きながら練習をしていて、競技に専念するためにアスナビを利用して、乃村工藝社に入社します。その経緯を教えてください。
西崎:2014年2月のヨーロッパオープンを経て4月にはドバイで行なわれる世界選手権に出られることになりました。54㎏級に出場したのですが、同じ階級の優勝者が200㎏以上を挙げ、世界記録更新を目の当たりにしました。2位、3位の選手も180㎏くらい挙げていて、160㎏でようやく入賞という感じでした。当時はまだ僕は110㎏ちょっとでしたから、今の環境のままではパラリンピック出場は無理だなという現実を痛感しました。公務員として働いているときは、海外に遠征に行くためには10日間有休を使って、年3回くらい海外の大会を予定していたので有給が足りなくなります。金銭的なことを考えても、このまま続けていても東京パラリンピックには出られないと思いました。
――これはアスリートが直面する問題の一つですね。そうしたアスリートと企業を結びつける制度である、アスナビを利用することになったと。
西崎:日本パラ・パワーリフティング連盟事務局長に、仕事を辞めて競技に専念しますという報告したときに、アスナビという制度があることを教えてもらいました。
――結果、現在所属する乃村工藝社に就職するわけですが、同社では初のアスリート採用でした。ご自身も会社側も初めての試みでわからないことだらけだったと思います。
西崎:僕はアスリートとして、すべての希望を聞いてもらっていたので、とにかく結果を出すことを考えていました。会社とどのように関わっていくかというよりも、アスリートとして結果を出して、どのように恩返しをしていくかというところしか見ていなかったかもしれません。
――結果として東京大会を目指していたにもかかわらず、4年早くリオデジャネイロ2016パラリンピック競技大会に出場。環境の変化は相当大きかったのですね。
西崎:元々はリオに出られるなんて思ってもいませんでした。パラリンピックに出るためには各年に出場しなければいけない選考大会があります。リオのときは14年のドバイの世界選手権から始まっていて、僕は必要な大会には出場していて標準記録も取っていました。条件は満たしていたものの、記録が足りていないので難しいと思っていました。会社の上司とそういう話をしていたら「可能性があるなら目指してみないか」と言って下さり、そこからできることはすべてやってみようとリオを本格的に目指すようになりました。
――社内でコミュニケーションを取ることで、練習環境も整っていったそうですね。
西崎:今思えば、最初の頃はコミュニケーション不足でした。会社の人に応援に来てもらったとき、記録を伸ばせず逆に5㎏くらい落ちていました。実はケガをした後で扱える重さを戻している途中だったのです。でも、会社の人はそれを知らないので「競技に専念できる環境なのにどうして記録が下がるの?」と疑問に思われていました。そこで僕がどういう練習をして、どういう状態なのかということを会社と共有できていないのは良くないねという話になりました。それまでは一般的なジムに行って健常者用のベンチ台でトレーニングを行っていました。実際の試合では足を伸ばすベンチ台に寝て行なうのですが、僕の場合はお尻から下の感覚がないので、台に乗って感覚があるのは肩甲骨だけです。肩でバランスを取っているので、シャフトも競技用じゃないとブレて支障をきたすという説明もしました。普段の練習から慣れてより結果を出すためにということで、公認のベンチ台を購入してもらうことができました。会社に環境を整えてもらった結果、ケガも治り記録が伸びていきました。
――陸上時代には叶わなかったパラリンピックに出場してみて、どんな印象が残っていますか?
西崎:どうでしょう(笑)。どんな競技でも結局、勝たないと意味がないじゃないですか。たとえばレスリング時代でも国体に出場したいとか、インターハイに出場したいと思って練習を重ね、実際に出場しても、負けたら出場したことの喜びなんてないですよね。リオのときに関しては一番大きい大会で自分のベスト記録を出すという目標を持って臨んで、記録なしで終わっているわけですから悔しさしかないです。会社もすごくバックアップしてくれて、みんなが応援してくれていたので、申し訳ないという気持ちでした。元々、僕の場合は、まだ世界上位で勝てるほどの記録を持っているわけでもないですし、リオに出るまではパラリンピックの出場者でもない。ただやりたいことをやっているだけの存在だったにもかかわらず、会社の人たちが全力で応援してくれました。周りを見てもここまで応援してもらっているアスリートはなかなかないと思うので、本当に力になっています。だからこそ、その応援に応えたいです。競技をやっていて一番嬉しいのは、納得のいく記録を出せたときです。自分が嬉しいというのもありますけど、応援してくれている方たちにも喜んでもらえる。自分は記録で応援に応えていくことしかできないので、そういう意味でもいい結果を出せたときは嬉しいです。
★次回は最終回は東京2020パラリンピックへ思いをうかがっていきます。
取材・文/佐久間一彦 撮影/神田勲
西崎哲男(にしざき・てつお)
1977年4月26日、奈良県出身。添上高校レスリング部では国体にも出場。2014年に東京2020パラリンピック出場を目指して株式会社乃村工藝社入社。16年パラパワーリフティングジャパンカップ54㎏級1位。リオデジャネイロ2016パラリンピック出場を果たした。2019年チャレンジカップ京都で142㎏の日本記録を樹立。同年7月の世界選手権では54㎏で8位入賞。
乃村工藝社(のむらこうげいしゃ)
1892年の創業以来、商業施設、ホテル、ワークプレイス、博覧会、博物館などのさまざまな空間の総合プロデュース企業として、全国10拠点を展開し、プランナー、デザイナー、プロダクトディレクターなどの専門職が総計1,000名以上在籍しています。創業から120年以上にわたり培ってきた総合力と社会課題の解決につながる空間価値の提供で人びとに「歓びと感動」をお届けしています。
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