現代の「ジム」の語源は、古代ギリシャにおける若者の教育の場、「ギュムナシオン」にあるという。
屋根付きの施設もあったと伝えられるが、続く古代ローマのコロッセオなどから連想されるように、基本的にギュムナシオンは屋外に置かれた公共施設の一種である。よって、本連載では世界の「屋外」ないし「野外」ジムも紹介していきたい。
今回の報告は、モスクワの屋外ジム。
ロシアを訪問すると、至る所でソ連時代の歴史を物語る史跡に遭遇する。2018年FIFA W杯ロシア大会の会場の1つヴォルゴグラード・アリーナは、第二次世界大戦における「スターリングラード攻防戦」の記念施設、「ママエフの丘」の麓にある。
同大会のメイン会場、ルジニキ・スタジアムでは、巨大なレーニン像が世界各国のサポーターを出迎えていた。
モスクワのもう1つの会場スパルタク・スタジアム(オトクリティ・アリーナ)では、FCスパルタクモスクワとソ連サッカー界に多大な功績を残したスタロスチン4兄弟の像が、ゴール裏で熱戦を見守っていた。
ソ連のスポーツの歴史と言えば、国家を挙げての科学とトレーニングの融合。冷戦時代、ソ連は経済生産効率の改善と、オリンピックを中心としたスポーツにおける西側自由主義陣営との競争に邁進した。極論すれば、冷戦期ソ連の保健体育とスポーツを支えたのは、エリートアスリートに対する科学的アプローチと、労働者“同志”諸君に対する地道で質実剛健な身体鍛錬だ。独断と偏見では、レスリング・グレコローマンスタイル130kg級でオリンピック3連覇を達成した“霊長類最強の男”、アレクサンドル・カレリンこそが、ソ連体育の最高傑作である。
屋外ジムにも、歴史が垣間見える。ギュムナシオン以来、屋外ジムは公共施設として存在する。そのため、その設備には、国や自治体の歴史、政策方針や建設時の情勢などが色濃く反映されているのだ。現代ロシアの日常の中にも、あのカレリンを生み出した何かが、きっと溶け込んでいるに違いない。そんな妄想を膨らませつつモスクワ市内を散策すると、あった。カレリン誕生国家に相応しい器具が、環境が。
縦横斜めに走る、鉄の棒の数々。公園に鉄棒「も」設置、というような次元ではない。鉄棒に雲梯、名前は不明ながら、鍛えるためだけにあるとしか思えない設備群だ。
極稀にだが、日本でも目にするスウェーデン体操の設備も。
これら棒状の物体よりも目を引くのが、巨大なタイヤ。決して産業廃棄物の不法投棄ではない。
タイヤを利用したトレーニングは主に2つ。1つは下半身と背筋群を爆発的に稼働させ、巨大タイヤとひっくり返すトレーニングがタイヤフリップ。もう1つは、巨大なハンマーを振り下ろしてタイヤを叩く、容易にその光景が思い浮かぶものの名称不明のトレーニング。辺りにハンマーは見当たらないが、持参したマイハンマー持参でこれらのタイヤをぶっ叩いても、誰かに怒られるようには思えない。
かつての一時期に史上最強の総合格闘家と評されていたヒョードル・エメリヤーエンコは、巨大タイヤをハンマーで叩くトレーニングをしていたことでも知られている。総合格闘技転向以前は、オリンピック出場を目指す旧ソ連の柔道強化指定選手の1人である。きっとその時代にも、数多のタイヤを叩き潰していたのだろう。
ハンマーは発見できなかったが、屋内のジムでは見たことがない、一見建築資材のような、こんなバーベルが、突拍子もなく転がっていた。
こんな公共の場、市井の人々の憩いの場にも、巨大タイヤが転がっている。それがロシアなのだ。
場所を移し、別の屋外ジムにも行ってみた。
すると、タイヤは置かれていないものの、吊り輪がある。
体操競技で何人もの金メダリストを輩出してきたソ連、そしてロシア。その歴史を感じずにはいられない。
長さこそ短いものの、クライミングロープも設置されている。
これら2つの公園が位置するのは、2018年FIFA W杯ロシア大会のメイン会場、ルジニキ・スタジアムの近く。そのため、これらはスポーツ施設の一部であり、一般の公園とは異なる特殊なものとみなすことが可能かもしれない。
そこで、集合住宅地とおぼしき場所にある、別の公園にも訪れてみた。
ブランコや砂場があり、明らかに子ども向けの公園だ。だが、ここにも鉄棒、雲梯、吊り輪が並び、施設は屋外ジムの様相を呈している。
モスクワの屋外ジムで特筆したいのは、転がっていた青いバーベルを除き、各施設の器具が、どれも比較的新しいことだ。新たな屋外ジムの設置は、ソ連時代から続く肉体鍛錬の伝統継承の一環であり、その伝統こそがスポーツ界の英雄を量産してきた土壌のかもしれない。
屋外ジムは、もちろん無料。利用にあたり、外国人でも、パスポートやID提示は不要。モスクワ訪問の際は、ソ連時代のオリンピック選手たち、近年の格闘家たちのトレーニングを想像しながら、屋外ジムで鍛錬に励み、旅を独自の色に染めてみるのもいいだろう。
取材・文/木村卓二(きむら・たくじ)
本業はTVディレクター。複数言語に通じ、ラグビー日本代表スクラムコーチ通訳(フランス語)、ラグビーW杯Broadcast Venue Manager、FIFA W杯Broadcast Liaison Officerなども歴任。世界各国のStrength & Conditioningコーチに感銘を受け、究極のトレーニングを求め、取材と研究に勤しむ。認定フィットネストレーナー資格を持ち、格闘家などへの指導も行なっている。