【鉄人アスリート】原英晃①

スポーツ界の鉄人を紹介していくこのコーナー。今回は、40歳を超えても現役として泳ぎ続け、“鉄人スイマー”と呼ばれる原英晃さんが登場! まずは競泳選手としての歩みから聞いた。

水泳歴は人生と同じくらい
泳げるようになったときの記憶はない

――原さんの水泳歴は何年になりますか?

原:水泳歴は人生と同じくらいです(笑)。

――物心がつく前から?

原:そうですね。父親が教員で、もともと水泳の国体選手だったので水泳部の顧問でした。そうした背景もあって、小さいときからプールに連れて行かれて、水の中に投げ込まれていたというような感じで始まった水泳人生でした(笑)。競技に出始めたのは小学校に入ってからですけど、気づいたときには泳いでいましたね。

――では、泳げるようになる過程はあまり覚えていないですか?

原:泳げないところから泳げるようになったときのことは覚えていないです。小学校のときは、やらされている感じだったので、あまり水泳が好きではありませんでした。練習はほぼ泣きながらやっていたような感じでしたね。

――小学生のときの練習の頻度や量はどれくらいだったのでしょうか?

原:あまり覚えていないんですけど、ほぼ毎日泳いでいたと思います。

――物心がつく前から40歳を過ぎた今も泳ぎ続けている原さんですが、一般的に水泳選手の競技者としてのピークの年齢はどれくらいなのでしょうか? 10代から活躍する選手が多い印象もあります。

原:一昔前は女性だと高校生、男性でも大学生という感じでしたよね。20年くらい前は、大学を卒業してから競技をできる環境があまりなかったんですよね。年齢的にはできたかもしれないけど、一線で競技としてやっている人が少なかったということもあると思います。でも今は大学を卒業しても競技に専念して続けられる環境が増えてきているので、選手寿命は延びてきていると思いますね。

――原さんご自身の水泳選手としてのピークは何歳くらいのときだったと思いますか?

原:200メートル自由形が私の得意種目で、日本代表に初めて入ったのは18歳の時だったんですけど、日本記録を出したのは26歳の年でした。当時では異例な遅咲きだったと思います。ただ、2004年を境に私の中では現役選手というくくりは終わっているんです。

――それはどういうことですか?

原:2004年のアテネオリンピック代表選考会までは企業に所属して、競技者として支援をしてもらっていました。会社に出社することもありましたが、それまでは競技者として成績を残すことが仕事だったので、競技(練習)を中心に生活をすることができたんです。2005年以降は、それまでとは自分の置かれている立場や環境が変わったので、競技を続けていると言っても背景が全然違うんですよね。仕事の合間を縫って練習、トレーニングをして、大会に出たりしているので。

――競技中心の生活が変わっても、水泳から離れるという選択肢はなかった?

原:競技中心の生活が続けられるものなら続けたいと思っていました。自分の中ではもっとできるという気持ちがあったし、まだやっていないこともありましたから、記録も伸ばせると思っていました。ただ、企業の方針とこちらの気持ちが必ずしも一致しないところもあって、競技者としての支援は続けられないとなってしまいました。だけど、それで自分の気持ちに嘘をついて諦めるのはちょっと違うかなって。競技中心の生活ではなくても、本気でやりたい気持ちがあれば、どんな環境でもチャレンジできるだろって心の中のリトル原が語りかけてきたんです(笑)。

――こちらのヴィンチトーレの設立はいつのことでしょうか?

原:独立したのは2013年です。それまでは同じように水泳指導をする会社に勤めさせてもらって、競技にも出場させてもらっていました。

――競技者一本の生活から、指導をしながらご自身の練習もしてという形になっていったわけですね。

原:そうですね。指導もしていましたし、事務所に足を運んでデスクワークもしていました。

――選手活動だけだった時代と仕事をしながらでは、練習や生活にどれくらいの変化がありましたか?

原:現実的に練習回数や練習量の確保は厳しかったので、200メートルで高いパフォーマスを維持することは困難になりました。ですから、専門距離を50メートルと100メートルにシフトして、この環境の中で最善を尽くしてみようと考えました。100メートルは200が専門のときにも出ていたんですけど、50メートルには出場することがあまりなかったんです。だから、その時から50メートル自由形の選手生活が新しく始まったみたいな感じでした。

――同じ自由形でも、距離が違うと使う筋力、心肺機能の負担はだいぶ違うものですか?

原:そうですね。練習の内容も変わってきます。短距離になればなるほど高いパワーが必要になりますし、エネルギー供給も違うので。

――練習メニューややり方も変わった?

原:時間も頻度も限られるので練習ボリュームは減ったのですが、その分強度は高くするようにしました。できる限りレースの時と同等、またはそれ以上の高いスピード、高い負荷をかける感じで、短時間で追い込むようにしています。無駄を省くというと語弊があるかもしれませんが、長い距離を泳ぐこともドリル練習もあまりやらなくなりました。アップしてすぐメイントレーニングするみたいな(笑)。

取材&文・佐久間一彦/撮影・中田有香

原英晃(はら・ひであき)
1974年生まれ。静岡県出身。日本体育協会認定水泳上級コーチ、NESTA認定パーソナルフィットネストレーナー、一般社団法人スポーツ人材育成協会理事。元200m自由形日本記録保持者及び元400m・800mリレー日本記録メンバー。1998年アジア大会金メダルや2001年福岡世界選手権ファイナリストなど、国内主要大会のみならず、国際大会の経験も豊富。1993~2015年まで23年連続で日本選手権(2011年代表選考会を加算)に出場するなど、40歳を過ぎた現在でも未だ日本の第一線で活躍中の鉄人スイマー。
原さんが指導するヴィンチトーレへの問い合わせはこちら