AI時代、心の時代、そして、カラダの時代。




元号が「令和」に変わり、はやくも約1ヵ月半が経過しました。
平成をなつかしむムードも一段落し、新しい時代の行方に世の中の関心が集まっています。

ソフトバンクグループの孫正義社長は「平成から令和へ」と銘打たれたYahoo! Japanのインタビューシリーズで、令和は「AIインターネットの時代」と語っていました。
AI、ロボット、IoTなどがつくり出す新たな世界。まだ漠然とした未来ではありますが、人それぞれイメージをふくらませていることでしょう。次世代通信規格の5Gが整備されれば、それはさらにリアリティを増していくと思われます。

平成はインターネットをはじめとしたデジタル分野が急速に進化し、生活の中に浸透していきました。書類は手書きからワープロになり、パソコンになりました。ポケットベルが携帯電話になり、スマートフォンになりました。
携帯が出はじめた頃は「これはキケンだ。電波が脳に悪影響を及ぼすらしい。だから俺は一生使わない!」などと断言している人が大勢いましたが、そんな彼らも今では立派なスマホユーザーになっています。

世界標準のスマホが日本に入ってきたのは平成16年頃(当時はスマホという呼び方は一般的ではありませんでしたが)。ソフトバンクがiPhoneを発売したのが平成20年。たった10年ほどでスマホはここまで我々の生活に入り込み、必要不可欠なものとなってしまいました。当時の日本では独自に進化したガラケーの人気が高く、スマホは苦戦を予想されましたが、それがいとも簡単に覆されたのは、やはり便利さには勝てないということの証明でしょう。

こうした歴史を経て、より便利なものを積極的に受け入れる土壌は完全に出来上がっています。「Society 5.0」とも呼ばれる時代にAI、ロボット、IoTが社会を次々に変えていくなら、我々は迷わずその恩恵を受けるでしょう。速いもの、簡単なもの、快適なもの、労力を減らしてくれるものを拒む必要はありませんし、それを求めるエネルギーが今後も人間社会を発展させていくことは間違いありません。

しかし、便利さの代償として、人間のカラダが力を失ってしまう可能性は否めません。
東京大学の石井直方教授は、本サイトで行なわれた中野ジェームズ修一氏との対談で次のように警鐘を鳴らしています。

「人の活動量が減っていくのは間違いないでしょうね。そのうち家の外に出る必要もなくなるかもしれないし、車に乗るにしてもアクセルやブレーキを踏むアクションもいらなくなってくる。そうなると、生活がどんどん肉体から離れていってしまいます。さらにAIが進化してくると頭も使わなくなって、人間の存在そのものが消滅してしまうような未来というのも考えられるわけです」

「生物学的に言っても、それは人間本来の生き様ではないんですよ。(中略)“動かなくなる”ことがカラダにとって適した環境ではないことは間違いないんです。ですから、より便利な世の中をつくっていくのはいいとして、一方では人間本来のカラダをしっかり維持していく。そういう相反するような方向性を求められるのがこれからの時代だと思います。そこにトレーニングやスポーツの大きな意義があるような気がしますね」

高度な脳や理性を獲得する以前から、生物は活動するために必要な肉体を持っていました。つまり、カラダこそが原点であり、地球上に存在するための土台であったと言えます。
子どもの体力低下、中年のメタボなどが問題視されるようになって久しいですが、これがさらに長期間にわたって激しく進行した時、はたして人間は現在の機能を保っていけるのか。今と同じように思い、感情を表現し、幸福や充実感を味わうことが可能なのか、そうしたことはあまり議論に上がりません。

医療や食品管理の技術によって長寿化が進むのはいいことですが、それは“人間らしい生活”を保証してくれるわけではありません。また、仕事はロボットに頼めても、カラダそのものをロボットにすることはできません(いつかできるようになったとしても、その時点で人間ではなくなっています)。長期的な視野で見ると、やはり自分のカラダは自分で守っていくという姿勢が重要になります。

平成の時代、女性たちは美しくなるために筋肉を鍛えはじめた。kei907–stock.adobe.com

奇しくもデジタル分野が急成長を遂げた平成、その後半からトレーニング業界が一躍脚光を浴びはじめました。トレーナー、ジム通いをする人、そしてジムそのものの数も急増しています。
マクロな視点で考えると、これはAI時代の到来に対する人間という種としての反応なのではないでしょうか。環境の変化を察知し、地球上で生き残るために大切なものを維持しようとする、あるいはむしろ積極的に適応しようとする本能的な行動なのではないでしょうか。
そうだとすると、老若男女がカラダを鍛えるという流れは、これからも加速するでしょう。

2000年前後、「21世紀は心の時代」という表現がよく聞かれました。
豊かな心、やすらぎ、他人との共感など、人間らしい心はAI時代にも重要な意味を持つでしょう。
ただ、心身一如という言葉があるように、心とカラダは密接に相関しています。心の豊かさを求めるのであれば、心だけに気を配るのではなく、カラダを見つめ直すことも同じくらい大切であると考えられます。

「心の時代」も歓迎ですが、それと同時に「カラダの時代」もさらに進化・発展していくとVITUP!は予想しています。そこで令和元年を「カラダの時代元年」と位置づけ、トレーニングやフィットネス、ボディメイクに励む皆さんをますます応援していきたいと思っています。

文/編集部