私が一番輝ける場所を見つけました! 一般主婦のコンテスト挑戦記③




生きていることを実感できる日々でした

26kgの原料に成功し、コンテストに出場した金子愛子さん

「結婚して10年、3人出産して結婚当初より25㎏増……。常に痩せたいと思いつつ本気ではなかったように思います

ピーク時の体重は74㎏。金子愛子さんが痩せることを本気で決意したのは、2016年2月1日のことだった。

「次男の幼稚園の卒園式に着るスーツを試着してみると、まったくスカートのチャックが上がらなかったんです。情けなかったですね。ショックを受けました。その時、『絶対に約2カ月後の卒園式にこのスーツを着てやる』と決心して、ダイエットを始めました。まず食事を180度変えました。低糖質な食事を目指しサラダと肉類のみを摂取するようにしました。家族の食事とは、完全に違うものを用意すること。そして、家族と違う時間に食べることが、私にとっても家族にとっても難しいことでした」

そして、同年5月には宮田みゆきさんが勤めるジムに通うようになる。

「筋トレはきつくてつらいものと思っていましたが、きつくてもつらくても終わった後の爽快感がたまらず、いつしか中毒になっていました。8月にはみゆき先生が出場したボディビル大会を初めて観戦したのですが、みゆき先生の美しさと圧倒的なステージングにただ魅了されっぱなしでした。この体を作るために先生はどれだけの努力や苦労どれだけの時間を費やしたのだろうと考えると涙があふれました。また、(ボディビルは)20代から50代、さらにはそれ以上の年齢の人たちが同じ舞台で競える競技と知り、本当に驚きました

宮田さんを始めとするジムのトレーナーに勧められ、金子さんは自身もコンテストに出場することを決意。翌17年6月に開催される東京オープン選手権大会の「ミスビギナー」クラスに照準を合わせた。

「一般平凡主婦の私にとって、誉められたり期待されたりすることは何よりも刺激になり、また嬉しいことでした。人生は変わると言われ、その言葉を信じて挑戦することを決めました。コンテストに向けての食事は、鶏肉、牛肉を中心にして味付けは薄味。野菜でお腹をいっぱいにしてからタンパク質を取るようにしました。食事摂取のタイミングなども教えていただいて、無駄なものは食べず、食べたものをいかに筋肉にするかを心がけました」

そこには家事、育児との両立という、新たな闘いも生まれた。

「実は、元々、主人が大会に出場することを快く思っていなかったため、好きなことでもあるトレーニングを続けるために、やるべきことはできる限り全力でやると決めました。朝起きてから夜寝るまで常にドタバタでしたが、時間は工夫次第でいくらでも作れることを知りました。すべては自分の頑張り次第なんです。何かに取りつかれたように時間を見つけて、30分ほどあればジムに通いました。ゴロゴロした記憶はないですね。主人はその姿を見て、言葉はなくともいろいろな面で協力してくれるようになりました」

エクササイズを始める前

それまでのコーディネートは「着られる服のなかから選ぶ」というものだったが、いつしかお気に入りの服がすべて着られるようになっていた。金子さんはマイナス26kgの減量に成功。サポートしてくれた人たちへの感謝を胸に、ミスビギナーの舞台に立った。

「大会に出場する事を決意してから実際に舞台に立つまでの間に本当にいろいろなことがありました。家族の反対を背に、大会当日も学校行事と重なり、そして大会3日前に同居する義父の体調が急激に悪くなり、長くなるであろう介護を覚悟しましたが、大会後の5日後に他界しました。このような状況で宮田先生やいろいろな方に励まされ、サポートしていただき、当日を迎えられました。今思うと、そこはキラキラした夢のような場所でした」

決勝進出は叶わなかったが、振り返ってみるとステージに立てたこと自体が奇跡のように思えた。しかし、それはすべて現実の出来事だった。

「忙しすぎる日々。精神的、肉体的にはぎりぎりで常に綱渡り状態で、つらくてつらくて仕方なかったはずが……。今思うと生きているという実感を得られた日々でした。大会直後は『やりきった』と思っていましたが、今まで支えてくれた先生やトレーナーに結果として恩返しをできなかったことが心残りで、いつの日か必ず喜ばせたいのでまた挑戦したいです」

文/藤本かずまさ