真の達人は常識の外にいる――。ムキムキボディの天才研究者 光吉俊二さん②【髙田一也のマッスルラウンジ 第46回】




大好評「マッスルラウンジ」。今回はロボット「Pepper」の感情エンジンを開発した光吉俊二さんが登場! 音声による感情認識を専門に、工学、医学、心理学にも精通している他、彫刻家、空手家としての顔も持つ光吉さん。心筋梗塞からの奇跡の復活をはたした背景には、ウエイトトレーニングが深く関わっていたと言います。

「倒れそうになりながら浅草を3周した」(光吉)
「その時に本気で生きようと思うかどうか」(髙田)

光吉:今はお酒もオートバイもフルコンタクトもドクターストップがかかってしまったので、やれることは指導か筋トレくらいしかなくて。自宅の部屋にジムを作っちゃったんですよ。もう待っていられないんです。起きてすぐやりたい。寝る直前にやりたいとかってリズムがあるんですよ。そのためにラックを組んで、フリーウエイトを全部できるようにしたんです。

髙田:熱心ですね。

光吉:重いウエイトを挙げることは科学的にあまり意味がないと知っているんです。回数とかバランスがあることは知っているんですけど、重いのを挙げたくなるんですよ、男って。ありませんか?

髙田:僕はこの間48歳になりましたが、何となく年齢に合わせたトレーニングというのは自分の中で考えているつもりなんですけど、それを度外視した何かもまだ持っていて。ケガがあってはいけないので、指導をしているクライアントさんには絶対させないようにしていますけど、自分に関してはやってしまうこともあります。

光吉:やりますか!

髙田:ここ(東大本郷キャンパス)のすぐ近くに僕の事務所兼ジムがあるんですけど、そこは完全に自分用のジムなんです。だいたい今はそこでひとりで指導のことを考えたりしながら、トレーニングをしています。

光吉:ストレス発散が筋トレくらいしかないんですよ。あとは夏になったら伊豆にあるヒリゾ浜で、8時間くらいずっと無人島のまわりをぐるぐる泳いでいるとか。

髙田:健全なストレス発散ですね(笑)。

光吉:ただ、まわりからはやめろと言われますけどね。途中で心臓がおかしくなったらどうするんだと。心筋梗塞をやっていますからね。入院中に体重が60kgくらいまで減っちゃったんですよ。げっそりしている状況から筋トレを始めたんです。だからここ3年ですね。

髙田:全然見えないですけどね。具合が悪かった方には。

光吉:徹底的にやったんです。心筋と脳の細胞って一回死んだら終わりで、再生しないんですよ。寝たきりのままのはずなのに、僕は2日か3日で立ち上がったんですね。ゾンビのように歩き出してしまったので、再生医療で幹細胞を移植して心臓を再生させたんです。自分の皮下脂肪から幹細胞を取って増殖させて静脈に戻したら、もとに戻るどころかパワーと速度が現役時代より上がったんです。その時に、やっぱり肉体って大事だなと思いました。体が死ぬということは土台がないということですから、重力に対抗するための体ってどれだけ大事なんだと悟って、筋トレに入ったんです。

髙田:僕も腱鞘炎で幹細胞治療を受けたことがあります。トレーナーの仕事で20kgのプレートを一日に何回もつけ替えていたら腱鞘炎になってしまったんですけど、お医者様のクライアントさんに幹細胞の治療を勧められて、受けてみたらよくなったんですよね。

光吉:幹細胞はすごいんですよ。僕の場合は非常に体に合っていたみたいで、神経の反応速度も上がりました。老眼が治って反射神経がものすごく上がって、いわゆる神業的な古流の技がもっとできるようになったんです。結局はボディがしっかりしていれば気の力も上がるということなんですよね。体の基礎をつくることは、やっぱり歳を取ってもやっていなければダメなんだと痛感しました。心臓の83パーセントが壊死している重度の心筋梗塞だったので、もう戻らないだろうと言われたんです。俺はもう一生ダメだ、空手どころじゃないと。それだけ空手をやってきた人間が、歩くのもやっとという状態で退院したんです。悔しくて、そのまま休みながら歩いて何時間かかけて浅草まで行って、浅草を3周して倒れそうになってタクシーに乗って自宅に帰ったんです。そのくらい悔しいんですよ。ここで死んでもいい、歩けない自分を認めたくない。

髙田:こんなの俺じゃないと。

光吉:そうです、そうです。それからは病院から絶対やるなと言われたことを全部やりました。筋トレも心臓に負荷がかかるから絶対ダメだと言われたんですけど、少しずつ。最初は5kg。最終的には240kgまで持っていって。

髙田:でも、その自分の感覚ってすごく大切だと思うんですよ。

光吉:体と会話するんですよね。

髙田:僕も似たような経験があって、体が弱かった時代にウエイトトレーニングをやっていいですかとお医者さんに聞いたら、絶対ダメだと言われたんです。身長が177cmなんですけど、その頃は49kgくらいだったんですよね。腸もすごく悪くて。ウエイトなんてやったら死ぬよくらいのことを言われたんです。ずっと病院に通いなさいと言われたんですけど、そうしていても何も始まらないんじゃないかと思って、自分なりにやってみようと。死んだら死んだで……。

光吉:いいじゃないかと思うんですよね。すごくわかる。あの時そうなったもん。

髙田:その感覚ってすごく大きいですよね。みんなに勧められるわけではないんですけど。

光吉:でも、我々はできたんですよね。よくわかる。言葉はよくないけど屈辱なんですよ。

髙田:僕は子どもの頃から体育も何もできなくて、そうすると自分ができないことをできる人たちに対して否定的になってくるんです。だったら思い切ってやってみようと思ってウエイトを始めたら、全部治ってしまって。

光吉:心臓までよくなっているんだもん。ショックトレーニングで強くなって。自分が勝手に思っているだけで、そんな論文はないですよ。

髙田:ご自身の体を使って……。

光吉:実験。心筋梗塞後は、強烈な筋肉刺激を与えると復活するんじゃないかという。失敗したら即死です(笑)。

髙田:大成功ですよね。

光吉:他の人には絶対勧めないですけどね。

髙田:でも、そこにはすごく強い気持ちも必要ですよね。

光吉:そうなんですよ。スポーツでも武道でも、どんな世界でもあるところを超えると一般化されないんです。特殊な人しかやれない世界で。

髙田:言い方はよくないですけど、ちょっとクレイジーくらいじゃないと難しいですよね。

光吉:最近僕の主治医が、説が逆かもしれない、もしかしたら筋トレをやると心臓が強くなるかもと言い始めているんです(笑)。実験するのは危険ですけどね。でも気持ちの問題、精神力ですよね。

髙田:その時に本気で生きようと思うかだと思うんですよね。

光吉:あの時は涙も出ないくらい悔しかったですね。己に負けたわけですよ。空手って己に勝つ作業なので、己に負けるのは何たる屈辱だという。たぶん俺は死んだ。一度死んだならもういい。やってやろうじゃないかと。

髙田:そこから復活した経験って、すごく自信になりますよね。

光吉:たしかになりました。もう何も怖くないです。それに53歳まで生きたんだから、もういつ死んだっていいやと思ったら何でもできちゃいますね。

髙田:53歳はまだお若いですけどね。

取材&構成&撮影・編集部

髙田一也(たかだ・かずや)
1970年、東京都出身。新宿御苑のパーソナルトレーニングジム「TREGIS(トレジス)」代表。華奢な体を改善するため、1995年よりウエイトトレーニングを開始。2003年からはパーソナルトレーナーとしての活動をスタートさせ、同時にボディビル大会にも出場。3度の優勝を果たす。09年以降はパーソナルトレーナーとしての活動に専念し、11年に「TREGIS」を設立。自らのカラダを磨き上げてきた経験とノウハウを活かし、これまでに多数のタレントやモデル、ダンサー、医師、薬剤師、格闘家、エアロインストラクター、会社経営者など1000名超を指導。その確かな指導法は雑誌やテレビなどのメディアにも取り上げられる。
TREGIS 公式HP
光吉俊二(みつよし・しゅんじ)
1965年、北海道出身。博士(工学)。東京大学大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻 道徳感情数理工学講座・特任准教授。専門は、音声感情認識技術、音声病態分析技術、人工自我技術。彫刻・建築家としてJR羽犬塚駅前彫刻や法務省の赤レンガ庁舎の設計などをしてきたが、独学でCG・コンピューターサイエンス・数学を学び、1999年「音声感情認識技術ST」を開発し特許取得後、任天堂DSソフトやロボット「Pepper」などでも採用される。その後、工学博士号を取得し、スタンフォード大学・慶應大学・東京大学で研究する。極真館(フルコンタクト空手五段)役員、征武道格闘空手 師範。著書に「STがITを超える」日経BP(絶版)、「パートナーロボット資料集成」エヌ・ティー・エス、ウィルフレッド・R・ビオン「グループ・アプローチ」亀田ブックセンター、社団法人日本機械学会「感覚・感情とロボット」第二部21章 工業調査会、「進化するヒトと機械の音声コミュニケーション」エヌ・ティー・エスなど。