筋肉増強剤アナボリック・ステロイドはスポーツの発展とともに世界へ広がった 筋肉研究のニーズが高まる要因にも




筋肉研究の起源は1864年

人類史上、現在ほど筋肉が脚光を浴びている時代はないでしょう。

私は1970年代から筋肉の研究を続けてきましたが、当時同じような研究をしている科学者は世界中を見渡しても決して多くはありませんでした。最近の筋肉研究の発展、世間からの筋肉に対する注目度を見ると、非常に感慨深いものがあります。

ということで、今回から筋肉研究の歴史の中でとくに注目すべき発見をいくつか紹介してみたいと思います。

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人類は古代から筋肉に興味を持っていました。中世の頃には「筋肉が収縮する」ことを知っている人も多かったと思います。ですが「研究」と呼べるレベルとなると、それほど古いものは見当たりません。起源とされているのは1864年、ドイツのウィルヘルム・キューネという生理学者による研究です。

キューネはカエルの筋肉から「ミオシン」という物質を抽出することに成功し、これが筋肉の収縮に重要な役割を担うタンパク質なのではないか、と発表しました。

また、彼は1876年に「トリプシン」を発見した人物としても知られています。トリプシンは膵臓から分泌されてタンパク質を分解する消化酵素ですが、それにエンザイム(酵素)という名を付けたのもキューネです。

ちなみに酵素と聞くと、多くの人はトリプシン、ペプシン、アミラーゼといった「消化酵素」をイメージすると思いますが、化学反応の仲立ちをする働きをするものはすべて酵素と言えます。ミオシンを含めた「動的に機能するタンパク質」(構造タンパク質ではないもの)も、すべて酵素であると考えていいでしょう。

キューネの死後、1939年に旧ソ連のウラジミール・エンゲルハルトという研究者が、ミオシンがATP(アデノシン三リン酸)を分解する酵素であることを突き止めました。

1942年には、ビタミンCの発見などでノーベル賞を受賞したアルベルト・セント=ジェルジというハンガリー出身(のちにアメリカに移住)の生化学者が、ミオシンと「アクチン」というタンパク質が合わさることでATPを分解する活性が劇的に上昇することを発見しました。

セント=ジェルジは「キューネがミオシンと呼んだタンパク質は、じつはミオシンとアクチンが結合したものだ」と言い、それを「アクトミオシン」と名付けました。

このあたりが生化学的な分野での筋肉研究の基礎になったと言えます。

スポーツとドーピングの発展

(C)Drazen_AdobeStock

人類の興味のわりに研究の歩みは遅々としていましたが、1960年頃になるとそのペースが少しアップします。その要因はスポーツの発展です。国を挙げたスポーツによる競争が世界的に激化していく中、次第にドーピングなども行なわれるようになっていきます。それとともに筋肉研究に対するニーズが高まっていきました。

筋肉増強剤(アナボリック・ステロイド)が開発されたのもこの頃です。

男性ホルモンが筋肉を太くする効果を持つことは、1950年代から臨床の世界では知られていました。ただ過剰に投与するとヒゲが濃くなったり、髪の毛が抜けてしまったりと「男性化」の作用が発現してしまうという問題がありました。アナボリック・ステロイドは男性化をなるべく抑え、筋肉だけを太くする働きを持つ薬物として開発されたもので、男性ホルモンと非常に似ていますが、ほんの少しだけ化学構造が違います。

勝つために手段を選ばないドーピングは断じて容認できませんが、スポーツによって筋肉研究が飛躍的に発展したことは人類にとって有意義だったと言えるでしょう。

次回は、筋肉研究における20世紀最大の功労者を紹介したいと思います。

 

※本記事は2018年に公開されたコラムを再編集したものです。

【解説】石井直方(いしい・なおかた)
1955年、東京都出身。東京大学名誉教授。理学博士。専門は身体運動科学、筋生理学、トレーニング科学。ボディビルダーとしてミスター日本優勝(2度)、ミスターアジア優勝、世界選手権3位の実績を持ち、研究者としても数多くの書籍やテレビ出演で知られる「筋肉博士」。トレーニングの方法論はもちろん、健康、アンチエイジング、スポーツなどの分野でも、わかりやすい解説で長年にわたり活躍。『スロトレ』(高橋書店)、『筋肉まるわかり大事典』(ベースボール・マガジン社)、『一生太らない体のつくり方』(エクスナレッジ)など、世間をにぎわせた著作は多数。