ノーベル賞科学者が発見した“天然エンジン”の驚くべき性質 力を出していても動きが止まっていれば、筋肉はエネルギーを使わない




筋肉と人工的なエンジンの違いを世に示したA.V.ヒル

近年のさまざまな研究では、筋肉は単にエンジンとしてだけでなく、人体の中でいろいろな役割を担っていることがわかってきています。

これから先も、筋肉から思いもよらない物質が分泌されていた、身体の機能に意外な役割を果たしていた、といった革命的な研究成果が発表される可能性はあるでしょう。ですが、現在までの筋肉研究の歴史において最大の功労者と言えるのは、イギリスのA.V.ヒル(アーチボルド・ヴィヴィアン・ヒル)だと思います。

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ヒルは筋肉と熱発生の関係を調べた研究で1922年にノーベル賞を受賞しました。その後さらに研究を進め、筋肉の力学的な基本性質である「力-速度関係」など筋肉の生理学的な性質を体系化したものを1938年に長大な論文で発表しました。これが20世紀最大の研究・発見だったと言えるでしょう。

とくに注目すべき点は、筋肉が力を発揮して短くなっていく時、その長さに比例して熱が発生することを発見したことです。

それ以前から「筋収縮時の力学的パワーが増えるほど熱の発生も増える」(フェン効果)ことはわかっていたのですが、ヒルはそれを「短縮熱」(筋肉が短縮することによって生じる熱がある)という言葉で明快に説明しました。

筋肉は「短縮する時」にエネルギーを消費する

もう少しわかりやすく解説しましょう。

人工的なエンジンやモーターの場合、「力を出している状態で、動きを止めた時」に最も大きな熱が出ます。力を出すためにつぎ込んだエネルギーが行き場を失い、すべて熱になってしまうからです。「ウーン」と唸りながら、オーバーヒートしてしまうわけですね。

ところが、天然のエンジンである筋肉は、力を出した状態で動きを止められても(アイソメトリック=等尺性収縮)、あまり熱は発生しません。例えば壁を押すような動作をしている時、大きな力は発揮されているのですが、熱は最小限にとどめられています。つまり、エネルギーをある程度セーブしながら、大きな力を出し続けることができるのです。

両者の違いは、下のグラフにも明確に表われています。

極端に言うと、いくら顔を真っ赤にして力を出していても、動きが止まっていれば基本的にエネルギーは使っていませんし、熱も出ていません。ですから、それは「おなかが減る」運動ではないということになります。これは人間の感覚とはずいぶん違いますね。

むしろ重いモノを持たなくても、軽やかに大きく動き、筋肉をなるべく短縮させようにしたほうが、はるかに熱を使い、エネルギー消費も大きくなるので、「おなかが減る」効果も大きいということになります。エアロビなどはその典型です。

ヒルは、このような人間の運動と熱発生やエネルギー消費の関係の基礎を体系化するとともに、蒸気機関やエンジン、モーターなどの人工的な動力機械と筋肉は根本的に性質が違うことを世に示しました。それが非常に画期的だったと言えます。

ヒルの研究によって筋肉の基本的な仕組みがすべて解明されたわけではありませんが、それはのちの科学者が筋肉の分子的な仕組みを調べる上での礎になり、非常に重要な手がかりにもなったと言えます。

 

 

※本記事は2018年に公開されたコラムを再編集したものです。

【解説】石井直方(いしい・なおかた)
1955年、東京都出身。東京大学名誉教授。理学博士。専門は身体運動科学、筋生理学、トレーニング科学。ボディビルダーとしてミスター日本優勝(2度)、ミスターアジア優勝、世界選手権3位の実績を持ち、研究者としても数多くの書籍やテレビ出演で知られる「筋肉博士」。トレーニングの方法論はもちろん、健康、アンチエイジング、スポーツなどの分野でも、わかりやすい解説で長年にわたり活躍。『スロトレ』(高橋書店)、『筋肉まるわかり大事典』(ベースボール・マガジン社)、『一生太らない体のつくり方』(エクスナレッジ)など、世間をにぎわせた著作は多数。