ルーマニア出身、オリンピック体操競技「パーフェクト10」のナディア・コマネチである。この言葉には、世界の頂点に立った、コマネチの選手としての成長過程が凝縮されている。
Eu am muncit cu placere. – Nadia Comăneci
(http://jurnalul.ro/sport/sporturi/interviu-nadia-comaneci-la-50-de-ani-ma-simt-inca-tanara-596391.html, Istvan Deak, “Interviu Nadia Comăneci: La 50 de ani mă simt încă tânără!” Jurnalul Național ediție electronică, 12 noiembrie 2011, 11:08)
1976年、14歳で出場したモントリオール・オリンピックにて、コマネチはオリンピックの女子体操史上初となる、パーフェクト10を記録した。だが、この段違い平行棒での演技に対し、スコアボードに記載された数字は「1.00」。IOC(国際オリンピック委員会)が10点満点という記録を想定しておらず、公式計時担当社であるオメガに対し、3桁の電光掲示板しか準備させていなかったために起きた珍事である。この大会、コマネチは3つの金メダルを手にしている。
なお、コマネチの1976年の記録は、体操競技史上初のパーフェクト10ではない。女子では、チェコスロバキア(当時)のベラ・チャスラフスカが、1967年のヨーロッパ選手権にて記録したのが最初である。男子に関しては、1924年のパリ大会にて、現在では行われていない「綱上り」で22人の選手が、跳馬でフランスのアルベール・セガンが、10点の採点を受けている。この綱上りは、審美性の評価の他、スピードも競う種目であったため、同一種目で22人の金メダリストが誕生したわけではない。更に補足だが、国際体操連盟が2006年に採点基準を変更したため、現在では10点が最高得点ではなくなっている。
コマネチが出現する以前、ルーマニアは体操王国ではなかった。体操は採点競技であり、審判たちの心象が得点に影響を与える。ボディビルの大会で、出場選手の応援者たちが「○番デカイ!」とか「○番キレてる!(注:筋肉のカットが深い)」などと言ってみたりするのは、審判の心理に訴えるためである(ちなみに、真逆の世界と思われる社交ダンスの競技会でも、同じようなことが行われ、「○番!」などの叫び声が会場内に響き渡る)。話を戻してモントリオール大会、審査本番前の練習は、各国毎に時間が定められていたが、ルーマニアはわざと遅刻し、大会運営者たちを苛立たせた。そうして、否が応にも審判員の注目が集まる状況が生まれたところに、ようやくコマネチが姿を現す。準備運動的なことは一切せず、難易度の高い大技を1度だけやって見せ、強烈な印象を審判団に与えるのだ。
体操先進国ではなかった当時のルーマニアにいながら、自分の才能を信じ、練習に没頭した。幼少時に才能を見出されたコマネチであるが、全てを容易に成し遂げてしまう天才だったわけでもない。そのことは、失敗談を織り交ぜ、著作の中で明確に否定している(“Letters to a Youg Gymnast”, Basic Books, 2004:鈴木淑美訳『コマネチ:若きアスリートへの手紙』青土社、2004)。2011年11月12日、コマネチ50歳の誕生日に行われたインタビューで当時を振り返り、「世界の頂点に立ちたいから、厳しい練習をした」と述べている。信じ、実行することで、夢を掴んだのだ。
好きなことなら、容易に努力できるだろう。目的があれば、多少辛いことでも苦にならなくなったりする、そんなこともあるだろう。辛いことが好きになれば更に良いが、これは困難かもしれない。だが、目的があるならば、好きでも嫌いでも、「喜んで努力しよう」。その姿勢があれば、身体は自ずと理想に近付くのだ。
文/木村卓二