日本一ゴールドジムを愛する男【マッチョ編集長のマッチョコラム 第1回】




20歳くらいのころから少しずつ体を鍛え、トレーニングにのめり込んでいくうちに、気が付いたらこのサイトの編集長になっていました。トレーニング愛好家のなかには、筋肉に対する愛が深いがゆえ、一般とは少し異なる価値観や信条を築き上げている人も少なくありません。ここでは、取材先でのこぼればなしや、ジムなどで出会ったトレーニーたちの日常をつづっていきます。第1回目はプロレス界のジュニアヘビー級のレジェンド、田中稔選手のちょっと変わった趣味について。
日本一ゴールドジムを愛する男
13年11月6日、 ゴールドジム成田千葉店 に出向き 「最初の」 全店制覇を成し遂げた 稔選手

 

日本の筋肉業界において、人知れず金字塔を打ち立てたプロレスラーがいる。 IWGPジュニアヘビー級王座 を防衛すること11回、 その他にも 世界ジュニアヘビー級王座 、  WRESLTLE-1クルーザーディビジョン王座 、  インターナショナルジュニアヘビー級王座 など数多くのベルトを獲得し、 現在はフリーランスとして多くのプロレス団体のリングで活動している 田中稔選手 です。

プロレスラーにも愛用者が多い 筋肉のメッカ・ ゴールドジム (以下、 GG )。 平日昼間に 東京都内 の GG店舗 にトレーニングに出かけると、 かなり高い確率でレスラーと遭遇できます。 その時間にジム内にいる派手な髪をしているゴツい人は、 だいたいがプロレスラーです。

そんなプロレスラーのなかでも、 日本一のゴールドジムマニア といえるのが 稔選手 。 国内に50店舗以上を構える同ジム。 彼はその全店でトレーニングを行うという偉業を達成したのです。

稔選手が GG のメンバーとなったのは11年10月。 自宅が 神奈川県逗子 にあるため、 当初は 横須賀神奈川店 を利用することが多かったといいます。

「初めていったときに、こんなにすごい設備のジムがあるんだって感動しましたね。 全国にどれくらい店舗があるんだろうと思ってパンフレットをみたら、 すごくたくさんあった。これはすべての店舗に行くのは無理だろうと。 というか、 最初はすべての店舗に行くという発想すらなかったです」

しかし、神奈川や都内の GGでトレーニングを行っているうちに「東京と神奈川の全店を制覇したい」という欲求が首をもたげてきた。 その二つのエリアのさまざまな GG に足を運んでいくにつれ、 彼の願望は さらに 「全国」 へと膨らんでいきました。

「試合で大阪に遠征したときは 十三 のプラザオーサカに泊まるんですけど、 (同ホテル内にある)十三店、 そして 梅田店 はすでに行ったことがあった。 だから 中ノ島店 でトレーニングしてみようと。 そこからですね、 感覚がおかしくなっていったのは (苦笑)」

ホテルの2階に降りれば GG があるにもかかわらず、 わざわざ電車に乗って 中ノ島 や 高槻 まで移動し、 大阪エリアをクリア。

12年7月には 千葉 にも 進出。  行徳千葉店 のフィットネスセンターで上半身、 アスレチックセンターで下半身を鍛える、 いわゆる 「ダブルスプリット法」を用いて1日で2店舗をハシゴするなどして千葉エリアを徐々に攻めていきました。
 
田中稔選手

「なので、 同年に 津田沼 と 浦安 がオープンしたときは焦りました。 これは1日でも早く全店制覇しないと追いつかない、 と思いました」

あるときは巡業先の 福島 から新幹線で移動して EXPRESS郡山店 へ。 またあるときは会場に待たせてあったタクシーに試合後すぐに飛び乗って 高崎群馬店 へ。 なかでももっともクリアすることが困難だったのは、 足を運ぶ機会が少ない 愛媛 の 新居浜店 だったとのことです。

「でも、  新居浜 に試合で行くことがあったんです。 その日のカードがメインイベントだったら時間的にもジムに行くのは無理だけど、 前座カードだったら試合後に行けるなと。 そしたら、 たまたまぼくのカードが第1試合に組まれたんです。 これは神様が 『GGにいきなさい』 と言ってるんだと。 試合後すぐにタクシーに乗って向かいました」

だが運悪く、 その日は月に一度のメンテナンス休館。 閉ざされたジムの扉の前で、  稔選手 は打ちひしがれた。

「翌日は朝の9時にホテルを出発する予定でした。 新居浜大会の日は知り合いと食事するために松山までいったので、 ホテルにはかなり遅い時間に戻ってきたんです。 ただ、ここで新居浜店に行っておかないと、 つぎにいつ行けるかわからない。 朝の5時くらいに起きて、 タクシーで GG に向かいました」

まさに無意味なまでの情熱を燃やした 稔選手 。 そして13年11月6日の 成田千葉店 で感動のゴール。 この時点においての日本国内のすべての GG でトレーニングを敢行するという偉勲を成し遂げたのだった。 だが、 真の着地点はここではなかった。 これはまだ始まりにすぎないことに、 彼はまだ気づいていなかった。 (つづく)