スポーツ深読みシリーズ~ウエイトリフティング【佐久間編集長コラム「週刊VITUP!」第66回】




VITUP!読者の皆様、こんにちは。日曜日のひととき、いかがお過ごしでしょうか? 東京2020オリンピックの観戦チケット申し込みが終了しました。初日と最終日は物すごいアクセスだったようですね。どの競技への申し込みが多いのか気になるところです。私はこれまで数多くのメダル有力アスリートを取材してきたので、そのうち一人でも生で応援できたらいいなと思ってフルにエントリーしました。

どんな競技にもその競技ならではの面白さがあります。そんなスポーツの魅力を紹介していく「スポーツ深読みシリーズ」。今回はオリンピックでもロンドン、リオと2大会連続で三宅宏実選手がメダルを獲得しているウエイトリフティングです。普段バーベルを使って筋トレをしている方なら、自分の体重よりもはるかに重たいバーベルを扱うことの大変さはわかると思います。ただし、競技のことはあまり知らない人も多いと思うので、このパワー競技の魅力を紹介していきましょう。

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バーベルやダンベルを使った訓練が行なわれるようになったのは、1890年頃と言われています。当時は現在のような競技規則はなく、単なる見せ物としての挙上種目が行なわれていました。ウエイトリフティングは1896年の第1回大会(アテネ大会)からオリンピック種目として実施されていましたが、実はこの時は体操競技の一種目という扱いでした。第5回大会以降からは独立し、第7回大会から初めて階級制を導入。当初はクリーン&プレス、スナッチ、クリーン&ジャークの3種目でしたが、1973年以降、プレスを除いた2種目で行なわれるようになり、現在に至ります。

最初にウエイトリフティングはパワー競技と書きました。もちろん、パワーは大事なのですが、単なる力比べだけではない魅力があります。持ち上げる重量が同じくらいのレベルになってくると、ギリギリの数字をめぐる駆け引きが展開されます。これが競技を楽しむためのポイントです。駆け引きを知るために順位決定方法を整理しておきましょう。

スナッチ・クリーン&ジャークの順位決定は次の要素が関係します。
①ベスト重量=スナッチとクリーン&ジャークの合計が高い選手が上位。同じ場合②へ。
②体重=軽い選手が上位。同じ場合は③へ。
③ベスト重量が達成された試技回数=早い試技(3回目より2回目、2回目より1回目)でベスト重量を挙げた選手が上位。同じ場合は④へ。
④その前の試技の重量=軽いほうの選手が上位。同じ場合は⑤へ。
⑤抽選番号=小さいほうが上位。

扱う重量は事前申告で、試技は重量の軽い選手から行ないます(申告が同重量の場合は事前抽選で番号の早い選手から)。この重量は試技ごとに2回まで変更が認められています。そのため、どのタイミングでどの重量を挙げるかという駆け引きが大事になるのです。

たとえば同体重の実力が拮抗したA選手とB選手がいます。それぞれ1回目の試技は95㎏を成功。A選手は2回目の試技で100㎏を失敗。一方、B選手は2回目の試技で100㎏を成功しました。当初、A選手は3回目の試技でも100㎏を申告していましたが、B選手が先に100㎏を挙げているので、このままでは勝つことができません。そこで3回目の試技は重量を変更。B選手が3回目の試技で申告している102㎏に変更しました(同重量を先に挙げれば勝てるため)。そしてA選手は見事に102㎏を成功。すると今度はB選手が事前申告の102㎏では勝てないので、103㎏に重量変更します。しかし、B選手は103㎏を挙げることはできず、3回目の試技の結果でA選手が優勝となりました。このように試技順や重量を計算した駆け引きがわかるとより楽しむことができると思います。

最後に雑学を一つ紹介しておきましょう。ウエイトリフティングのユニフォームといえば、ヒジ、ヒザを覆わないワンピース型。ユニフォームの規定で「毛髪や頭に着用したものはすべて頭部とみなす」とあり、帽子をかぶったり、女子選手がカチューシャをつけたりすることもできるのです。実際にカチューシャを着用して競技を行なう女子選手もいます。これは競技をオシャレに見せるため…ではありません。肌を露出できないイスラム圏の女性への普及を考えて頭からかぶるものも認められているのです。そのためユニタードを頭からかぶる選手もいます。しかし、帽子やカチューシャを着用して、それがバーベルに触れると失敗とみなされるので注意が必要です。

みなぎるパワーと迫力の裏にある繊細な駆け引き。東京2020オリンピックでウエイトリフティングを見てみようという方がいましたら、そんなところにも注目してみてください。

 

佐久間一彦(さくま・かずひこ)
1975年8月27日、神奈川県出身。学生時代はレスリング選手として活躍し、全日本大学選手権準優勝などの実績を残す。青山学院大学卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。2007年~2010年まで「週刊プロレス」の編集長を務める。2010年にライトハウスに入社。スポーツジャーナリストとして数多くのプロスポーツ選手、オリンピアンの取材を手がける。