破天荒な言動とファイトスタイルで一時代を築いたミノワマンが、100㎏の大台を目指し大幅な肉体改造を行なっている。階級別、減量が主流の格闘技界にあって、なぜ時代に逆行するかのような試みに着手したのか。その思考を紐解くためにも、夢を叶えたパンクラスでのプロデビュー以降を振り返る。
※ミノワマン選手にならい、当インタビュー内では「気」をすべて「氣」と表記しています。
「誠ジム所属での出場でしたが、本当にうれしかったです」
―1997年7月、ついにパンクラスのリングで闘うことになりました。
「誠ジム所属での出場でしたが、本当にうれしかったです。両親だけではなく、誠ジムの仲間などがバスを1台借りて50人くらい応援に来てくれました。リングに上がってコールを受ける前に、自分の手のひらを眺めたのを覚えています。『本当にパンクラスのリングに立っているんだ』と、その時に実感しました。試合に関してはアマチュアで20戦以上やっていたので、そういう意味では実戦慣れはしていたと思います」
―初戦はヘイガー・チンにヒザ十字固めで一本勝ち。ネオブラッド・トーナメントの一回戦を突破しました。
「その日は昼夜興行で、夜は長谷川悟史さんとの準決勝戦でした。延長の末に判定で負けたんですけど、試合後にパンクラスに入門したいということを、あらためて伝えました。そして8月3日に正式に入門が決定しました」
―日付まで覚えているんですね。
「覚えていますね。そして直後の8月9日に梅田ステラホールで近藤有己さんとの試合が組まれました。東京道場所属としてのデビュー戦の相手が、いきなり当時のチャンピオンでした」