ミノワマンが語るリアル超人への道Vol.5 入門テスト不合格の真相と、階級制への違和感




「練習だけではなく試合でも一切打撃が禁止でした」

―そこから破竹の5連勝。そして大道塾の山崎進戦で、一氣に美濃輪育久という名前が知れ渡るようになりました。ただ道場長の鈴木みのる選手からは打撃禁止令を言い渡されることになります。

「道場で窪田さんと打撃スパーをしていたんです。それを見た鈴木さんが『なんだお前、そのへったくそな打撃は。そんなのもうダメだ。お前らもう打撃禁止』って言われました。シャドーもダメでしたし、練習だけではなく試合でも一切禁止でした。そこからは、もうタックルと関節技だけです。タックルだけの試合を初めてやったのが渋谷さんとの試合で、何とかドロー。その次のジェイソン・デルーシア戦は判定負けでした」

―ガードポジション禁止、打撃禁止など現在では考えられない指導法です。道場だったりプロレス的な環境で育ったことも、今のミノワマン選手の思考に影響を与えているかもしれません。

「でも当時はセーム・シュルトみたいな2メートルの選手と闘ったり、道場でのちゃんこ番とかも当たり前でした。打撃禁止と言われても、おかしいと思うことはなかったです」

―打撃解禁は99年のネオブラッド・トーナメントですか。

「そうですね。鈴木さんから『打撃を使っていいよ』って言われました。基本的にはタックルと寝技だったんですけど、3連続一本勝ちで優勝することができました」

―このあたりからは、もはや説明不要でしょう。奇想天外な練習法とファイトスタイルも相まって、一氣に大ブレイクをはたしました。

「その頃はまだ掌底でしたけど、道場ではフェイスガードをつけてパウンドとかの練習も結構やっていました。あれもこれもとやって全部が中途半端になっていたので、それを一個に絞らせてくれた鈴木さんには本当に感謝しています」

◆新たに導入された階級制に違和感