ミノワマンが語るリアル超人への道Vol.5 入門テスト不合格の真相と、階級制への違和感




「パンクを聴いて氣持ちを奮い立たせていました」

―余談ですがパンクラス時代の入場テーマ曲(「UNDERGROUND KING」J.A.P.)が、美濃輪育久という選手と絶妙にマッチしていましたね。

「THE STAR CLUBというパンクバンドが好きで、ボーカルのヒカゲさんを中心に結成されたバンドの曲ですね。当時は英語がよくわからずにリズムがかっこいいと思って使っていたんですけど、今聴くと地上波では流せないような曲でした。自分は入場前なので真剣な顔をしていたんですけど、エイドリアン・セラーノという選手が曲を聴きながらゲラゲラ笑っていたらしいです(笑)」

―美濃輪選手の無謀なファイトスタイルと、よく合っていました。

「パンクロックの爆音と歌詞ですね。いろんな人から『お前がプロレスラーになれるわけないだろ』と言われましたけど、そのたびにパンクの『いや、俺はやってやるぜ』という歌詞を聴いて氣持ちを奮い立たせていました。偶然、パンクという名前がつく団体でしたし、この曲しかないという感じでパンクラス所属の間はずっと使い続けました」

―折れそうな心を奮い立たせていたんですね。

「長渕剛さんの曲も好きでした。学生の時に一人だけ『やってみろよ』と応援してくれる友達がいて、そいつがいろいろアドバイスしてくれたのがパンクでした。プロになってからもパンク精神がファイトスタイルに出ていたと思いますし、試合後に拳を突き上げる『S.R.F8回』(スタンディング・リアル・フィスト8回)もパンクの影響です。パンクの『オイ、オイ』は速すぎてお客さんがついてこれないので、長渕剛さんがライブの時にやっていた『オイ、オイ』というリズムに合わせました」

―その頃になると入門前にイメージした通りの姿に近づいていたのではないですか?

「そうですね。ただ次第に海外に行きたいという氣持ちが出てきました。いろんな世界が見たいなと。あと2000年からライトヘビー級とか階級制が導入されて、そこで体重を落としてみたりしたんですけど、なんかしっくりこないというか、僕の中では氣持ちよくなかったです」

■最終回となる次回(5月12日アップ)は、ミノワマンの“これから”を深掘りします。

取材・文・写真/松浦俊秀
写真提供/ミノワマン

ミノワマン(みのわまん)
本名:美濃輪育久。1976年1月12日、岐阜県出身。175㎝。92㎏。フリー。戦績/117戦63勝(43S、11KO)45敗9分。パンクラス 第5回ネオブラッド・トーナメント優勝、初代BSFミドル級王者、DREAMスーパーハルクトーナメント 〜世界超人選手権〜優勝。公式twitter。YouTubeチャンネル「ミノワマン ワールド / Minowaman World