世界陸上に織田裕二を起用した理由
――選手をリスペクトの対象として見せたから認められたのでしょうね。
自分もスポーツをやっていたので、そのトップ選手たちには当然リスペクトがありました。背景をパルテノン神殿にしたのも、「トップ選手の対決を最高のステージとして見せたい!」という気持ちが強かったからです。背景のセットにはお金をかけました。当時“スポーツバラエティ”という言葉はなく、最初は古舘伊知郎さんがおっしゃられた「樋口のつくっている世界はスポーツとバラエティの隙間産業」という言葉でした。僕自身はバラエティ化というよりは、「スポーツのエンターテイメント化」というイメージでした。それまでの年末年始のバラエティベースの特番などではスポーツ選手が安っぽく見える印象があったので、そうではないものをつくりたかった。その中で、トップ選手をもう少し身近な存在として見せたい、という思いでやった結果がああいう形になったと思います。
――『世界陸上』で、織田裕二さんをメインキャスターに起用したのも、いい意味で陸上競技と世間の距離を縮めることに貢献したと思います。
1997年ですね。もともと日テレでやっていた世界陸上選手権をTBSでやることになり、樋口組でやってくれという依頼がスポーツ部長からあって。特番をたくさんつくっている時期でもあり、ゴールデンもあるから無理ですと言ったんですけど、のちに社長になる副社長が「どうしても樋口にやらせろ。お金も条件もあいつの言うことを全部飲め」と言っていると……。当時の僕は陸上にまったく興味がなかったですし、日テレで低迷していたものをやるのもどうしたものか?と考えているうちに、走り幅跳びの世界記録8m95、三段跳びの世界記録18m29などの記録を見て「これはすごい!」と思ってしまったんです。このすごさをシンプルに、素人にもわかるように伝えよう、ということで『世界陸上』というわかりやすいタイトルをつけて、日本人の誰もが知っている人を視聴者の代表として「陸上をみんなで一緒に見て勉強しよう!」というコンセプトでやることに決めて、織田裕二さんをキャスティングしました。当時、織田さんは陸上を全然見ないということだったんですけど、「僕も何も知らないんですよ……視聴者と一緒に勉強しませんか?」とお伝えして快諾いただき、その織田さんをサポートする役として、親交のあったヤクルトスワローズの古田敦也さんの奥様の中井美穂さんにもキャスターをお願いしました。ところがTBS社内は大騒ぎになってしまいました。「なんで他局出身のフリーアナを起用するんだ!」と……。
――それは……そうなりそうですね。
最初の会議は、アナウンスセンター全員がボイコットでした。それを聞いた副社長がアナウンスセンター長に直接話し、次の会議には皆さん参加してくれましたが、先輩のアナウンサーの方々はテーブルに足を上げて聞いているような感じでした。それでも僕は気にせず、自分のやりたいコンセプトをお伝えし、世界陸上という新しいコンテンツをつくることに注力しました。日本人選手だけを応援しても、当時の陸上界では番組としては成立しません。それより「外国人選手のすごさをしっかり見せる!」というコンセプトで、「スクランブル交差点を3歩で渡る男」という合成CMを自分でつくりました。
――あれはインパクトがありましたね。今も記憶に残っています。
当時は合成だけで3000万円くらいかかりましたけど、のちに世界CMコンクールのプロモーション部門の大賞を取りました。

