ゼロイチに特化した人間
――それにしても、社内ではずっと戦ってきたんですね。
戦い続けましたね。必然的に敵も増えました。でも、当時の民放は圧倒的にフジテレビが強かったですし、我々とは社員の年収もCMスポンサーの金額も全然違ったので、僕としては何としても数字を取って勝ってやろうという気持ちしかありませんでした。そういう中で結果も出せて、32歳の時に『筋肉番付』で初めてプロデューサーになりました。全局の中で当時は史上最年少のゴールデンのプロデューサーだったそうです。
――一般人からもスターを生み出した『SASUKE』は、のちに『Ninja Warrior』として世界にも広がっていきました。
もともと『SASUKE』は筋肉番付でボツになった企画をつないでみたらどうなるんだろう、という発想からスタートしました。1人挑戦にしたのは、僕が基礎スキー選手権に出ていた経験があって、ギャラリーのいる中で1人でその緊張感を味わうシチュエーションを番組にしたいと思ったからです。
――格闘技で民放初の瞬間視聴率“紅白超え”(43.0%)を成し遂げたのも快挙でしたよね。
2003年の曙VSボブ・サップですね。1R終了際にKOという結末だったんですけど、2Rまでいっていたら、もっと視聴率は上がったと思います。その前の年に国立競技場で開催された『Dynamite!』も思い出深いですね。初めてTBSが主催した格闘技イベントで、会場は国立競技場。吉田秀彦選手のプロデビュー戦などいろいろな話題があったんですけど、その中でアントニオ猪木さんが空からパラシュートで降り立つという演出をやりました。事前にアイデアをお伝えしたら、「誰だ、そんなこと言ったヤツは」と猪木さんに呼ばれて、2人きりの部屋で「これを本当にやるのか?」と言われ、「猪木さんはいろいろなところから登場されているので、あとは空しかないので……」とお伝えし、「じつは俺は高所恐怖症なんだ。それでもやるのか!」と言われたので、「はい、お願いします!」と。最後は「じゃあ何かあったら責任取れよ」と言いながら引き受けてくださいました。前日にリハーサルをする予定だったんですけど、強風でダメになり、当日ぶっつけ本番ということになってしまいました。その日も風が強くて、競技場の中に降りるのはかなり難しいと言われていたので、もう心臓バクバクでした。でも見事、競技場に降りて、猪木さんも喜ばれていました。
――根っからのチャレンジャー体質なんですね(笑)。
ゼロイチで何かを生み出すのが好きで、能力的にもそこに特化した人間なんだと思います。人が考えつかないことをやったことで1番になれたと思いますし、自分がやった番組は全部視聴率も取りましたから。でも、そういう人間なので、過去の栄光とかに縛られたくないんです。実績とか肩書きがあるからいろいろなお話をいただくこともあるんですけど、自分としてはつねに前を見ています。
――まだまだチャレンジを続けると。
はい。2年ほど少し事業をお休みして企業の顧問などをやらせていただきましたが、あらためて自分に与えられたミッションはゼロイチなんだなと。それで去年くらいから動きはじめています。今63歳ですけど、もっと上の世代の先輩方がバリバリ現役でやられているので、僕はまだまだだなと思っています(笑)。
