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『究極のスピード』を実現した筋肉とは?【石井直方のVIVA筋肉! 第37回】




“筋肉博士”石井直方先が、最新情報と経験に基づいて筋肉とトレーニングの素晴らしさを発信する連載。今回は地球上で最も速い動作を生み出す筋肉について解説します。

「筋肉の性質」と「体のつくり」をマッチさせることで特殊なパフォーマンスを生む

前回まで解説してきたように、筋肉は生物が生きていく上で、より実用的・効率的であるよう進化してきました。

たとえば、スピードを求められる場合と、再現性や持続性を求められる場合では、同じような構造というわけにはいきません。要求された課題に対し、できるかぎり適合しようとするバージョンアップが何億年にもわたって続いてきたのでしょう。

今回はその一例として“究極のスピード”を達成した筋肉を紹介しましょう。
今日現在、この世界で最速の運動を生み出しているのは昆虫の「飛翔筋」です。

©visible3dscience-stock.adobe.com

ハチやカなどは、飛ぶ時に500㎐くらいの高周波で翅(はね)を動かしています(2000㎐で飛ぶ虫がいるという報告もあります)。
普通に考えると、これは1秒間に数百回の筋収縮が必要ということになるので、飛翔筋は驚異的なスピードで収縮と弛緩を繰り返しているのだろうと考えられ、多くの研究者がさまざまな研究を行なってきました。
しかし、その結果わかったことは、予想よりもはるかにスピードの遅い筋肉であるということ。そして、翅が羽ばたく周期と収縮の周期が一致しない筋肉(非同調筋)であるということでした。

チョウなどのように「ヒラヒラ」と飛ぶタイプの昆虫は、翅を持ち上げる筋肉が収縮した後、翅を下げる筋肉が収縮します。つまり、筋肉が交互に収縮することで翅が上下する仕組みになっています(こちらは「同調筋」と言います)。これはある意味、常識的な飛び方と言えるでしょう。

ところが、「ブーン」という周波数の高い音を立てて飛ぶハチやカなどの場合、翅を上げる筋肉と下げる筋肉が同時に収縮します。
昆虫の体表には「クチクラ」と呼ばれる硬い組織があり、力学的には翅を上げる筋肉と下げる筋肉はこのクチクラを介してつながっています。この組織が石油缶のフタのような役割(押されることで凹凸を繰り返す“クリック機構”)のような役割をはたすことで、筋肉との間で共振し、高周波の振動が起こるというシステムが確立されているのです。

つまり、筋肉の性質と体のつくりをうまくマッチさせることで、特殊なパフォーマンスを生じさせている典型例と言えます。

飛翔筋の研究が盛んに行なわれはじめたのは1970年頃。プリングルという生理学者が数多くの研究を推し進め、その道の第一人者になったのがきっかけでした。
同じ時期、アンドリュー・ハックスリー、ヒュー・ハックスリーといった研究者が筋収縮の分子的な仕組みを解明し、筋肉自体の注目度が高まっていました。その時代と重なったことで、昆虫の飛翔筋もクローズアップされやすかったという経緯があります。

frank29052515-stock.adobe.com

「伸張による収縮増強」は哺乳類の骨格筋でも見られる

飛翔筋の仕組みは完璧に解明されたわけではありませんが、ここ数年でさらに新たな発見も出てきています。

とくにメジャーな研究は、ハエの背中を接着剤で壁にくっつけ、羽ばたかせながら強烈なX線を当てて筋肉内部の変化を観察するという手法によって、分子の配列や動きなどを推定するというもの。その結果、基本的な筋収縮のメカニズムなどは哺乳類の骨格筋(横紋筋)と大きく違うわけではない、しかし分子の発揮する力が伸張によって増強したり、解放によって抑制されたりする変化が表われやすい構造をしているらしい、ということがわかってきました。

具体的に言うと、翅を上げる筋肉と下げる筋肉の両方が綱引きのように引っ張り合うと、自然に筋肉そのものが強く共振しやすい構造になっているのです。筋線維の内部でのアクチンとミオシンの配列に仕方にその秘訣がありそうです。

筋の伸張によって収縮張力の増強が起こる現象を「伸張による収縮増強」と言いますが、同様の現象は、程度こそ低いものの、哺乳類の骨格筋でも見られることがわかっています(神経系を介した「伸張反射」とは異なり、筋肉そのもので起こる現象です)。こうした現象を上手に利用できるような動作を習得するトレーニングが「プライオメトリックトレーニング」であるという見方も可能でしょう。

第27回~第29回で貝の「キャッチ収縮」について解説しましたが、これはなるべくエネルギーを使わずに長時間にわたって力を出し続ける、むしろスピードの遅い筋肉でした。
今回の飛翔筋は、それとは対極に位置する筋肉と言えるでしょう。

石井直方(いしい・なおかた)
1955年、東京都出身。東京大学理学部卒業。同大学大学院博士課程修了。東京大学・大学院教授。理学博士。東京大学スポーツ先端科学研究拠点長。専門は身体運動科学、筋生理学、トレーニング科学。ボディビルダーとしてミスター日本優勝(2度)、ミスターアジア優勝、世界選手権3位の実績を持ち、研究者としても数多くの書籍やテレビ出演で知られる「筋肉博士」。トレーニングの方法論はもちろん、健康、アンチエイジング、スポーツなどの分野でも、わかりやすい解説で長年にわたり活躍中。『スロトレ』(高橋書店)、『筋肉まるわかり大事典』(ベースボール・マガジン社)、『一生太らない体のつくり方』(エクスナレッジ)など、世間をにぎわせた著作は多数。
石井直方研究室HP

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